ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

地域で共に 周りも成長
障がい児の亡き息子が導く人生

戎崎 綾子(えびすざき・あやこ)さん


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仏壇の前で、宝物の卒業証書を手にする戎崎さん。一日の報告を亡き息子に話す(木津川市州見台)
 6月14日は5年前に亡くなった長男統唯(とうい)君の命日。生きていれば中学2年になっている。今年も小学校時代の友だちが自宅を訪れてくれるはずだ。「子どもたちが心の中で統唯を、今も大切に思っていてくれるのが何よりもうれしい」と話すのは木津川市で福祉施設の相談支援員として忙しい日々を過ごす戎崎綾子さん(45)。「病児・障がい児の地域生活を支える会てくてく」の代表でもある。「統唯はわずか9年の命だったが、統唯のおかげで見えた世界があり、生まれて来てくれたからこそ、今の私の人生がある」と亡き息子に感謝する。

 統唯君は生まれながら重い障がいを抱えていた。話せず、車いすでの生活だったが、「障がいのある子もない子も、同じ地域で共に成長することが大切」と考え、2歳上のお姉ちゃんが通っていた幼稚園に入園希望を出した。しかし、許可されず、署名活動の末、ようやく親が付き添っての交流保育が認められた。だが、在園名簿には最後まで名前は記されなかった。

 息子が成長していく中で、「障害や病気のある子どもたち、その家族が気軽に参加できる活動が地域の中に少ない。孤立せずに、つながる場を作ろう」との思いを強くした。息子が通っていた療育施設の職員と共に2006年5月に立ち上げたのが「てくてく」だった。音楽遊びなど取り入れた「てくてくひろば」や、医療的ケアが必要な子どもや家族を対象に昼食付き交流会などを行う「みにてくひろば」など活発な活動を行った。最初は4家族のみの参加だったが、90家族以上に登録者は増えた。「てくてくに参加するまでは家と病院の往復だったというお母さんや、気持ちに余裕が生まれ、子どもの成長や新たな一面に気付かされたという父母も多い」と喜ぶ。

 統唯君が地元の州見台小学校に入学する際も、約1万人の署名を集めて実現した。学校では運動会など全ての行事に参加し、必死に生きる統唯君の姿が同級生たちの心に刻まれた。だが、3年になって、天国に旅立った。6年の修学旅行の際、同級生たちは統唯君に似た縫いぐるみを持って三重県・伊勢志摩に出かけたという。「この話を聞いて、涙が止まらなかった。亡くなっても、統唯はクラスメートに愛され、一緒に学んでいたのだと」

 重度の障がいがあった息子と過ごした日々が戎崎さんを福祉の世界に向かわせた。「今、悩み苦しんでいる人たちのお役に少しでも立ちたい」。お世話になった木津川市の福祉施設にホームヘルパーとして勤めはじめ、しばらくして相談支援員として多くの障害者らの相談も受け持つようになった。「障害児を抱える親として悩んだ経験が仕事に生かされ、相談者の気持ちに寄り添って話を聞くことができる。統唯が今も私の中に生きている」と日々を振り返る。仕事が忙しいため、このところ「てくてく」の活動は休みがちだが、「決して解散はしない。社会にとって、今も必要な団体。いずれ、本格的に活動を再開する」という。

 戎崎さんの居間に1枚の卒業証書が飾ってある。「友だちに思いやりと優しさの大切さを教えてくれました…」。小学校が亡くなった統唯君のために特別に作成した卒業証書だった。「私たち家族にとって、何よりの宝物です」