ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

営業経験生かし地域と密着
お年寄りらの居場所づくり

坂田 幹和(さかた みきかず)さん


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高齢者サロンでアトラクションとして招いた「岩上たいこサロン」のメンバーを紹介する坂田さん(右)=甲賀市水口町東名坂
 「人に喜んでもらい、楽しんでもらうのが福祉」との信念をもつ甲賀市・綾野自治振興会役員の坂田幹和さん(68)=同市水口町。サラリーマン時代に営業マンとして培った人を大切にする姿勢を武器に、お年寄りらの「居場所づくり」など地域福祉の充実に駆け回っている。

 水口町は旧東海道が通る城下町として発展した。今年5月、坂田さんはひとり、城下町一帯で民家を訪ね回っていた。「この辺りで、空き家はありませんか」。高齢者や障害者、子どもらが気軽に集い、今、全国的に広がっている「子ども食堂」も開催できる家探しだった。家の所有者にも次々と当たり、ようやく築80年の空き家を借りられるメドもできた。「物おじしないで、どこへでも飛び込んでいけるのが私の強み。この空き家が新しい福祉の拠点になれば」と、来年の本格的な活動に向けて準備を重ねている。

 甲西町(現湖南市)の出身。高校を卒業後、地元の包装器械製造会社に就職し、若いころから製品を売り込む営業マンとして全国を飛び回った。とくに沖縄には足を運ぶことは多く、日本に復帰後、まだドルが通貨として使われていたころから出かけている。心がけていたのは「人を大切にし、製品を売るのでなく、人間を売り込む」こと。親しくなった企業の幹部には自宅に数日間、泊めてもらい、寝起きをともにしながら人間同士の触れ合いを深めていった。「知らない土地でも、親しい人ができると、そこは私にとって、心が安らげる場所。そんな場所ができることで業績もあがった」といい、今、先頭に立って進めている「居場所」づくりにもつながっている。

 会社勤めをしながらの50代前半。現在住む東名坂区の公民館(草の根ハウス)建設にはリーダーを務め、区長の時には区民が楽しめればと夏まつりを初めて企画、民生児童委員なども引き受けてきた。そして、54歳の時、区民を対象にした高齢者のためのサロン「みんなの居場所」を、地元の福祉団体の協力も得て立ち上げた。「ひとり暮らしのお年寄りも増えてきて、地域が元気に明るくなれればと思った」と振り返る。当初は月1回、健康体操や茶話会などを企画していたが、今では週1回の開催に増やし、イベントも工夫するなど充実させた。「とくに男性は家に閉じこもりがちなので、少し無理してでも来てもらっている。参加すると、皆さんに喜んでもらえる」と居場所の必要性を強調する。83歳で亡くなった母親が認知症だったことから、坂田さんは「老後を健康に暮らすことが、本人はもちろん、家族も安心できる」と、まず実施する百歳体操などを通して健康づくりには気を配る。

 甲賀市が5年前、地域振興を図る綾野自治振興会を設立すると、役員を引き受け、居場所づくりをより広い地域を対象に実施。週1回の開催日には70人以上のお年寄りが参加し、趣味のうどん打ちでうどんを提供することも。「若いころからやってきたいろんな経験が、今の活動に生かされている。死ぬまで続けていく」。温和な人柄に、強い決意をにじませた。