ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

96歳。健康づくりの先頭に
童謡に合わせた体操も指導

枡本 清(ますもと きよし)さん


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体操が元気を与えてくれると、地域の人たちを指導する枡本さん(宮津市浜町・市民体育館)
 丹後・宮津港のそばに建つ宮津市の市民体育館。京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は…懐かしい童謡を口ずさみながら、ストレッチ体操で健康づくりを楽しむ地元の人たち。指導しているのは96歳の枡本清さん=同市由良。「年はとっても、人のお役に立っているのがうれしい」。冬期間は休んでいるが、丹後や京都市内の老人ホームなど福祉施設を訪問し、体操を通して喜ばれている。昨年秋には厚労大臣からボランティア活動に対する感謝状も贈られ、自他ともに認める「体操おじいさん」として元気いっぱいだ。

 新潟県長岡市の出身。ふるさとは田中角栄元首相生誕地の隣の村だった。日中戦争が始まった1937年、17歳で日本海軍に志願入隊し、横須賀基地に配属された。太平洋戦争になると、ウェーク島への上陸作戦を皮切りに、サイパン、トラック、パラオ、ラバウルなど太平洋の島々を転戦した。作戦司令部の兵士だったこともあり、最前線に立つことは少なかったが、43年11月末に日本にたどり着いた時は命からがらだった。その後は舞鶴の海軍基地にいて、終戦を迎えた。

 戦後は海上自衛隊舞鶴総監部に就職。理髪店で知り合った政子さんと結婚、4人の子どもにも恵まれた。政子さんは宮津の自宅で理髪店を開業し、全てが順調だった。その政子さんが84年、脳梗塞を発症し意識不明になった。「食事中に茶わんを落とすなどおかしいところがあった。もっと、早く気付いてやれなかったのか」と今も後悔する。一命はとり止め、2人で懸命にリハビリした。地域内を歩き回り、できる範囲のスクワットやストレッチ体操、手の運動などを繰り返した。一年後には普通に歩けるようになり、手のしびれもなくなった。閉めていた理髪店も再開した。「継続した運動の効果を見せつけられた思いだった」と振り返る。政子さんはその後も病気の再発を繰り返し、98年に帰らぬ人となったが、最初の発症から14年間、生活をともにできた。「地域の人や福祉施設、病院の方など多くの人にお世話になった。何らかの形でお返ししたかった」と感謝の気持ちを忘れない。

 体育館で週1回開かれている健康体操教室「水曜クラブ」は、元は市教委が募集したストレッチ体操の受講生らで作った。もう30年近くなり、当初、講師を務めていた人がなくなり、請われて指導役を引き受けた。体操の新メニューを採り入れるのには積極的。童謡に合わせた体操は娘のアドバイスから生まれ、子どものころ自然と覚えた童謡が今、生きている。テレビを見ていて気付く体操もあり、研究に余念がない。福祉施設への訪問体操も7年ほどになり、車いすの人など体力に合わせたレパートリーを用意している。ある時、高齢の女性から「おしっこが漏れて、旅行にも行けない。治すいい方法はないか」と相談された。病院を訪ねたり、図書館で調べたりして、骨盤底筋を強化する体操が効果あることを知り、早速、指導に採り入れた。高齢の女性の悩みも解消したという。「人に喜んでもらえるのは、本当にうれしい」

 今は、安寿と厨子王の伝説が残る由良海岸近くの自宅で一人住まい。「これまで元気にやってこられたのも体操のおかげ。体操が、私に力を与えてくれる」