ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

可能性信じ 親の愛注ぐ

淇陽学校の元名物寮長
松本 史郎(まつもと ふみお)さん


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「子どもたちには可能性がある。長い目で見て上げることが大切」。寮長を務めていた加茂寮の前で語る松本さん(南丹市園部町栄町)
 南丹市園部町の市街地から少し離れた山沿いに建つ京都府立淇陽(きよう)学校。大正2年(1913年)に設立された児童福祉施設で、4年前に創立100周年を迎えた。生活に指導の必要な18歳以下の子どもたちが寮生活を送りながら学習したり、各種の作業を通して生きる力を身につけている。「ここでは職員は子どもたちと一緒に悩み、喜び、上達する。with(ともに)の精神を大切にしている」と話すのは副校長の松本史郎さん(58)=同市園部町。管理職になる4年前までは奥さんの桂子さんとともに4つある寮の一つに住み込み、「淇陽の名物寮長、寮母」として知られていた。

 淇陽学校はかつては「教護院」と呼ばれ、児童福祉法の改正で98年からは「児童自立支援施設」に変わった。京都府内では唯一の施設で、全国には58カ所ある。

 その一つに横浜家庭学園(神奈川県)があり、松本さんは淇陽学校に勤めるまでは大学卒業後、この施設に勤務し、職員としてだけでなく体育の授業なども教えていた。「寮に住み込んで、子どもたちとともに悩みたい」。そんな思いを抱いていたが、住み込みの機会はなかった。「一緒に寮で子どもたちと暮らしてもらえないか」。36歳の時、同僚だった妻の桂子さんにかけたプロポーズの言葉だった。

 念願かない夫婦での寮生活が始まった。寝起きも3度の食事も、一日すべてが子どもたちと一緒。「普段の生活も、勉強も、スポーツもなんでも一生懸命にやろう」と励ましている分、いいかげんな後ろ姿は見せられない緊張があったが、充実した日々だった。そんな寮生活も1年で終わった。施設の方針で寮の宿泊体制が変更された。

 「もっと身近に子どもたちと触れ合いながら指導したい」。夫婦で寮長・寮母を求めている施設を探し、出合ったのが淇陽学校だった。

 97年に転勤し、2年目から寮生活が始まった。当時、寮は6つあり、1つを担当した。作業時間など寮単位で行動することが多く、それだけに6〜7人の寮生のチームワークを大切にしなければならない。「子どもたち一人一人の個性と可能性を大事にしてきた」と振り返る。この施設に入る児童は家庭的には恵まれない子どもがほとんどで、「叱る時は叱り、よくできた時は褒めた」といい、桂子さんとともに親の立場で接した。松本さん夫婦は4人の子どもに恵まれたが、子どもたちを含めて、大家族のような寮づくりを意識した。毎月の買い物、年に数回の小旅行もみんなで出かけた。白數(しらす)宗雄校長は「この施設では愛情の注ぎ直しが欠かせない。丁寧で誠実な松本先生は寮長にうってつけ」と信頼する。

 現在は寮生活とは離れ、指導課長として全体に気を配る毎日だ。在学する児童は22人(女性3人)。以前は非行など問題行動を起こした子どもが多かったが、今は発達障害など障害を抱える児童も増えている。「時代とともに施設も変化しているが、寮長・寮母のいる寮生活を通して子どもたちが学び、成長しているのは変わりない」という。「20年前にこの施設に来て、妻とともに悩みながら、子どもたちを送り出した。何人もの卒業生が訪ねて来てくれるし、視野も広がった。京都に来て、本当によかった」と感謝する。岡山市出身。