ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

同じ空の下、みんな幸せ
福島の子どもたちを応援

林 リエ(はやし りえ)さん


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幼稚園留学で京都に滞在する福島の母親と、座禅体験で交流する林さん(中央、京都市西京区・洛西花園幼稚園)
 午後11時。3人の子どもたちが寝入り、家事を終えると、林リエさん(39)=向日市=の日課が始まる。メールをチェックして関係先に返信、作業すること2時間。東京電力福島第1原発事故のあった福島県内の子ども応援プロジェクト「ミンナソラノシタ(ミナソラ)」の活動だ。正社員で働き、仕事と育児でぎりぎりの日々だが、ミナソラに携わらない日は1日としてない。「当たり前に思ってることは、実は当たり前じゃない。視点を変えてくれる大事な活動だから」

 100年先もミンナソラノシタで幸せに暮らしていてほしい―。そんなコンセプトで立ち上げた母親たちの団体。息子が幼稚園児だった2012年、園が福島の幼稚園教諭らを招いて交流する事業の世話役を務めたのがきっかけだった。当時は原発にも放射能にも関心のない一母親。だが、園児が安心して外で遊べない現状や先生の葛藤を知り、驚いた。「継続支援が必要」との気持ちを強くした。

 それから5年。1人から始まった活動は、この秋には福島県内の親子を京都に招く「幼稚園留学」の主催にまで発展した。住宅や日用品を提供してくれる企業の協力もあり、3週間の留学が実現。計4組が参加してくれた。「最初を思うと、夢を見てるみたい」。それだけ、ここまでの道は険しかった。

 福島の現状を知った当初、ママ友たちに「ベビーカーデモしよう」と呼びかけると、「シャッターが閉まり出した」。過激な思想があるわけではなく、子の将来を考えたい一心。だが、色眼鏡で見られているのがわかった。寄付付き商品の開発を呼びかけても「夢物語だよね」と反応は薄かった。「誰も一緒にやろうと言ってくれなかった」

 福島と京都は空でつながっている。「原発事故の影響を受けたのは私たちだったかも」。子を持つ母として、他人事に思えなかった。関心を持ってもらいたくて、人気のバッグブランドやイラストレーターに交渉し、支援商品を開発。「震災ビジネス」と揶揄(やゆ)されることもあったが、福島の幼稚園に砂を寄贈、活動を続けるうち、周りの空気が変わってくるのがわかった。

 「どうすれば自分ごととして考えてもらえるか」。幼稚園留学は、その答えの一つでもあった。「福島の親子と交流することで身近さを感じてもらいたい」。共感が広がり、応援してくれる人も増え、継続することの大切さを実感した。

 「小さい会社を経営しているみたい」と感じる労力。だが喜びも多い。団体のメンバーとは共に苦しみ、泣いてもがいて「ママ友」から「同志」になっていく。息子からは「いっつも(ミナソラの)仕事ばかり」と言われるが、駆け回る背中を見せることはやめない。「小さい時から社会課題を考えることで、大人になって思い出してくれるはず」と信じている。活動の原動力は「福島のため」だけではない。「わが子が巣立つ日本が幸せであってほしい」という「わが子の幸せ」への願いでもある。

 「私の人生は、多くの人に助けてもらってきた」と振り返り、「恩送り」を意識する。「できることをできるときにできる人がやろう」。持続可能な社会をみんなでつくろう。ミナソラは、そんな思いも込めたライフワークだ。