ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

経験生かし異分野の触媒に
発達障害 支援者を支える

小崎 大陽(こざき たいよう)さん


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ペットボトルを使って、教員らに発達障害者の見え方を体験してもらう小崎さん(右)=彦根市・滋賀県立大
 大学教員ら約60人が着席した講義室。滋賀県立大(彦根市)が企画した発達障害を理解する研修会で、大津市発達障害者支援センター「かほん」のセンター長小ア大陽さん(38)が会場に語りかける。「避難訓練の時に『走るな』って言われたらどうします?普通は歩いて運動場に向かいますね。でも立ち止まって怒られた京大生の小学生時代のエピソードもある。周囲との『ずれ感』を複数抱えて大学生活を過ごすのが自閉症の学生です」。発達障害の学生との対し方に悩む教員らは、熱心に耳を傾けた。

 学力は高いが特性が強くコミュニケーションが取れない。課題を出せず卒業も難しそうだが本人に「困り感」がない。そういった事例が目立ち、発達障害で支援の必要な学生が増えるなか、小アさんは「支援者支援」のコンサルタントとして活躍する。県の委託で、高校・大学でキャリア支援のモデル事業に取り組み、大津市からは福祉事業所や教育現場での対応をサポートする事業も受託する。

 「教育と福祉の連携を−と言われる。けれど、福祉と教育は水と油。個別支援計画から始まる福祉と、子どもを集団で見る教育はそもそも視点が違う。相手の『見え方』を知ることなしに、一体の支援はできない」。モデル事業に取り組んで実感するからこそ、積極的に講演にも出かけ、「触媒」になるべく福祉の視点を伝える。

 異分野をつなぐ。それは、広い視野とバランス感覚が求められる難しい役割だ。だが、これまでのキャリアが生きている。

 もともとは教師を目指したが、「全く行きたくなかった」養護学校の実習に行き、人生が変わった。純粋に自分の思いを爆発させる生徒たちが輝いて見えた。彼らと過ごす日々が強烈に面白く、「暮らし丸ごとを見たい」という思いで、入所施設のアルバイトを始め職員になった。働いて3年たった頃、夢だった青年海外協力隊でジャマイカへ渡り、障害児体育の教育課程を作成。ここで得たのは、現地で暮らす人との間に生じる「ずれ感」から不安を覚えた経験だった。異文化ゆえ、自分には当たり前の振る舞いでも相手が怒る。「『発達障害体験』のようなものだった」

 帰国後数年で今度は大学院に入学し、障害者心理を研究。現場を知らない専門家も目立つ現状が疑問で、「現場で働く専門家」を目指した。再び福祉の現場に戻り、視点が増えた。そんな自身の経験から課題に思うのは、複眼的に見られる支援者の育成だ。

 かつては、「障害があっても健常者と同じように生きられる」と理念を振りかざしたこともあった。だが今は違う。家庭で支える難しさ、支援者の報酬の安さ、人員不足、さまざまな現実を見て、「一周回って戻ってきた」。人の特性は変わらずとも「ずれ感」やソフト面の穴埋めはできる。だが、大切にしているのは、「母親がちゃんと支援すべき」など極端になりがちな「べき論」ではない。本人も家族も支援者も、一人ひとりが少しずつでも幸せであること−。

 「障害のある人と接するとき気をつけることは」という質問には、「ない」と答える。「その人の障害は見るけれど、そうである前にその人は『人』。その人が楽しく生きるために何が必要か。ただ、それだけです」

(フリーライター・小坂綾子)