ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

人生の設計図、自分で描いて
生きづらい子たちを支える

斯波 最誠(しば さいじょう)さん


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年に最近の様子をたずねる斯波さん(宇治市神明・心華寺)
 宇治市神明の心華寺の境内。パソコンと3Dプリンターが並ぶ一室で、住職の斯波最誠さん(71)が一人の少年に語りかける。「今度はどんな作品を作るんや?」。パソコンの画面をのぞき込み、手際よく操作してみせる少年。学校に通う代わりに寺に通い、講師からパソコンの技術を習得しながら生活リズムを整えている。「子どもはそれぞれ違うのに、学ぶ場を選べないことが問題。生きるパターンがいくつもあって良い」。それが斯波さんの持論だ。

 三十数年前から、住職として家庭内暴力や非行、登校拒否など世間的に問題児とされる子たちを支えてきた。寝食を共にし、掃除や勉強をしながら自分と向き合ってもらう、そんな場所だった。2013年には、引きこもりや不登校、うつなどで悩む青少年を支えるNPO法人「こころのはな」を、趣旨に賛同する人たちと発足。パソコンや陶芸などのメニューも備えた宿泊支援は、中学生から40代までの男女が1カ月ほどのサイクルで数名ずつ利用し、現在は2人が寝泊まりする。また通所プログラムのほか、引きこもり女子会や子ども食堂などの事業も展開する。

 支援は、面談しながら自分で計画を作ってもらうところから始まる。「自分で自分をコントロールして生きることが大事。自分の人生ですから」。自分の設計図を描き、そこに向かって歩む。うまくいくことや良い子になることより、心のベースを作って自分に正直に生きることに重点を置く。

 気がかりなのは、引きこもりや不登校という現状を受け入れられず、SOSが出せず支援につながらないケースだ。「学校が嫌だけど学校から認められたい」というジレンマを抱えた子も多い。「背景には、学校に行く子が良い子だという価値観がある。貧しい時代は働く子が良い子、今は勉強する子が良い子。子どもたちが社会的価値観のもとで評価されている」。学校で問題とされる子も、寺に来ると懸命に働き、暴れることもない。興味の持てるものを一緒に探し、できることが増えると生き生きする事例も多数見てきた。

 「良い子」とは何か―。「人間が人間を判定する場合、判定する側の都合にしかならない。何かが上手にできるという評価はあっても、人間そのものの評価などできないはず」。ここでは、その子の存在そのものを認める。あいさつをするのが苦手な子がいれば、良い悪いではなく「そういう子だ」と認める。「返事がなくて怒る人は、教える人であっても育てる人ではない。子どもに『できる』ことを要求した時点で心が離れる」。返事が返って来ようが来まいが、毎日「おはよう」を言い続ける。

 人を支える難しさに苦労は絶えないが、わが子の将来の確証がほしいと思う親や、人より優れていなくてはならないと悩む人にはこう言葉をかける。「人と比べれば自分を見失う。置かれたところでベストを尽くせば分相応のものが備わってくる。行き詰まったら下がり、迷えば振り出しに戻ればいい。道草を食って初めて違う視点でものを見ることができる」。誰にも将来の確証などなく、今できることを全力でやるだけ。そのメッセージを、背中で伝えている。

 (フリーライター 小坂綾子)