ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

皆「生きているだけでマル」
不登校の子に居場所を

林 (はやし)ともこさん


 テーブルの上のボードゲームを囲み、子どもたちが元気な声を響かせる。長浜市難波町のびわ高齢者福祉センターの一室で開かれている、不登校の子と家族の居場所「にじっこ」。集っているのは、さまざまな事情で学校に行きにくい小学生たちだ。「よし、じゃあ次はカードゲームしよう!」。開設する林ともこさん(46)=同市=が、柔らかな笑顔で子たちを見つめる。


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「にじっこ」に集う子どもたちとカードゲームを楽しむ林さん(長浜市難波町・びわ高齢者福祉センター)
 テーブルの上のボードゲームを囲み、子どもたちが元気な声を響かせる。長浜市難波町のびわ高齢者福祉センターの一室で開かれている、不登校の子と家族の居場所「にじっこ」。集っているのは、さまざまな事情で学校に行きにくい小学生たちだ。「よし、じゃあ次はカードゲームしよう!」。開設する林ともこさん(46)=同市=が、柔らかな笑顔で子たちを見つめる。

 「ここに来る子は、人一倍優しくて繊細で、だからこそ傷つき、学校でしんどい思いをする。みんなと同じことができず責められたり、誰かと比べられたり、自分の価値に『バッテン』をつけられ、自分が存在する意味がわからなくなる子もいる。そんな子たちが『生きてるだけでいい』って感じられる場所を作りたくて」

 原点には、6歳で亡くなった娘との日々がある。2005年に先天性心疾患で生まれた明音(あかね)ちゃんは、食べることも話すことも歩くこともできない難病で、突然体調を崩し旅立った。だが、彼女が周りの人に与えた幸せは計り知れなかった。「生きていれば成績や見た目で評価されることがあるけれど、評価がその人の価値ではない。何ができるとかできないと?か、どんな業績を残したとかは命に関係なく、ダメな命なんて一つもない」。そんな思いを強くする。

 小学校の教員だった林さん。娘が生まれて退職し、亡くした後しばらくは子どもと関わるのがつらかったが、子ども食堂に関わったことをきっかけに学校現場に復帰した。そこで、学校に行くのがしんどい子らと出会い、居場所立ち上げを決めた。「興味のあることを思う存分させてあげたかったけれど、学校では限界があった」

 「にじっこ」には、約30組の親子が登録。長浜市で月に3、4回、大津市で月1回開き、8月からは米原市でも始める予定で、不登校経験者と一緒にNPO法人の設立も準備している。親は別室で語り合ったり、仕事や自分の活動に行ったり、自由に過ごす。わが子と離れるひとときは、リセットできる時間でもある。

 もう一つ取り組んでいるのが講演活動だ。出版した娘の記録「あ〜ちゃんの虹」の読者に依頼されて始め、口コミで広がり、県内の団体や学校などに出向く。

 「生まれてくれただけで『マル』の命だったのが、わが子が成長するにつれ、いつしか注意や指示が増えていく。娘が呼吸して笑ってるだけで喜びだった私の話を聞いて、『生きていてくれてうれしい』という気持ちに気づき直すきっかけになれば」。大人向けの講演では、そんな思いを込める。そしてもう一つ届けたいことがある。「大切な人はいつ旅立つかわからない。だから、『ありがとう』『ごめんね』『大好き』っていう思いは、明日ではなく今日伝えてほしい」

 多くの人が子育てするように、林さんも亡くした子どものために毎晩絵本を読み、子育てを続けている。「世の中にはいろんな人がいて、子育てにも正解、不正解はない。悲しみや苦しみの深さは人それぞれで、大人も子どもも誰かと自分を比べなくてもいい」。大切なことを教えてくれた明音ちゃん。その命は、今も林さんの活動を通して地上でいきいきと生きている。

 (フリーライター・小坂綾子)