ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

来春開設、チームで支える
医療的ケア児の保育園

藤井 (ふじい)(ふき) さん


 京都市伏見区の野の百合保育園。仕事を終えた保育士らに向けた研修会で、人工呼吸器や胃ろうの医療チューブを付けた赤ちゃんの姿が映し出される。マイクを握るのは、NPO法人アイケアキッズ京都理事長の藤井蕗(ふじいふき)さん(43)。18トリソミーという重い先天性疾患で生まれ、2歳で亡くなった次男・旅也(たびや)ちゃんとの日々を振り返り、語りかけた。


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息子との日々や開園する保育園について講演する藤井さん
 「人間って、危機的状況の中では感覚が研ぎ澄まされていきます。援助者がどんな気持ちで向き合ってくれているのか、言葉や行為でなく、たたずまいや空気で、家族には伝わる。だから、支援者側の『思い』が大事。そして、家族を孤立させないサポートチームがあることが大きな力になります」

 14歳の時に米国でベトナム難民と机を並べた経験からマイノリティーの世界に関心を持ち、大学で障害者教育を学んだ藤井さん。アートセラピストとして病院で10年間勤務したが、2012年、思いがけず自身が、24時間看護・介護が必要な医療的ケア児の母親として生きることになった。次男を亡くした後、医療的ケア児の家族の声を伝える講演などを続けながら、保育士の資格を取得。左京区に医療的ケア児と家族のプラットホームづくりを兼ね備えた医療的ケア児優先の小規模保育園「キコレ」の来春開園を目指している。

 「お母さんたちを支えたい」。それが、次男を亡くして出てきた感情だった。24時間看護・介護の緊張の連続で夜は3時間以上続けて眠れなかったかつての日々。子を授かって退職し、亡くした後は悲しみを抱えつつ子育てを続ける中での再就職に苦心した。また、新生児集中治療室(NICU)を出た子を預けられる場所がなく、経済的な理由で仕事を辞めることもできず悩む母親も見てきた。「お母さんたちが自分の仕事を続けられないのって、おかしい」。そんな気持ちが湧いてきた。

 「自分はサポートチームの作り方も知っていて、子育ての経験もあり、経済面でも、あらゆる面で恵まれていた」。だが、医療的ケア児を育てる家族の中には、チームの作り方が分からなかったり、経済的に苦しかったり、長期戦になるため仕事を辞められない人もいる。「安心して預けられる場があれば、医療的ケア児を授かってもお母さんは働き続けられ、夜眠れない分、昼間に眠ることもできる」。保育園を作ろうと今年1月法人を設立、クラウドファンディングなどで寄付を集める。

 法人の理事は、医師や保育士、医療的ケア児の家族らで、京都市の認定保育園となる「キコレ」のスタッフは、看護師や管理栄養士らを含め約人。専門家と当事者がチームで支え、藤井さんは、元当事者かつ対人援助職として保育園の運営を担う。「支援者として働いていた頃は、お母さんたちの本当の苦しさを知らなかった。それを知った今なら、言えること、できることがたくさんある」

 家族が当たり前に仕事を続けられる社会、子どもと家族が孤立せず安心して暮らせる社会を作る−。掲げるミッションは壮大だが、地に足をつけて一歩一歩、前に進んでいくつもりだ。

 (フリーライター・小坂綾子)