ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
わたしの現場

できることで誰かのチカラに
子どもたちを食で支える

澤田 (さわだ)政明(まさあき) さん


 京都市伏見区の澤田政明さん(53)の金曜日は、スーパーに出向いて賞味期限の迫った食品を受け取るところから始まる。提供を受けたパンやレトルト食品を車の荷台に乗せ、同市内の母子生活支援施設などへ届けて回る。より必要とされる場所へ食を届ける「フードバンク」の活動だ。「アンパンマンの世界です。困っている人のために自分を削れる『かっこいいフードバンカー』でありたくて」と笑う。


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母子生活支援施設に食品を届ける澤田政明さん(左)=京都市右京区
 「子どもたちを食で支えるしくみづくり」を目的に、2015年にNPO法人セカンドハーベスト京都(東山区)を発足させた。現在、理事長として会社員や主婦、学生ら登録スタッフ26人とともにボランティアで活動する。企業や個人から寄せられた未利用の食品を必要な人に届ける定期配送のほか、生活困窮者への緊急支援にも取り組むが、重点を置くのは同法人の原点でもある貧困状態の子どもたちへの支援だ。

 子ども食堂への支援活動に取り組んだが、本当に困窮している子どもは利用しないケースも多く、力になりきれないことを実感。そんな時に「夏休み明けにやせて登校する子がいる」と耳にして、18年、学校給食のない夏休みと冬休みに就学援助を受けている世帯などに食品を送るプロジェクトを開始した。八幡市や京都市の教育委員会と連携し、19年度は延べ900世帯に食品を届けた。

 同法人を設立するまでは、アパレル系会社員や食品関連の自営業だった。全く無縁だった貧困問題に関わるきっかけは、自身の命と向き合った経験にある。

 高校を中退後、レストランの料理人やオートバイのレーサー、タクシー運転手など多様な職を経験した。中国に渡り、従業員400人を抱えるアパレル系の工場を立ち上げた時期は、「ワーカホリック(仕事中毒)だった」と自認するほど働いた。だが、ストレスが引き金となり、人工透析が必要な自己免疫疾患と診断され帰国した。

 透析を始めるも体調は悪化し、「こうして死んでいくのか」と恐れ苦しむ日々が続いた。幸いにも体調は回復。仏教に出会い、「自分はどう生きるのか」と自問する中で、東日本大震災が発生した。「何かしたい」と思ったが、医療機器を手放せず、ボランティアに行けない。誰かの力になれることをと考え、テレビ番組で見たフードバンクを思い出した。

 「これに必要なのは、物流や食品の仕事の経験。自分はできる」

 府内のフードバンク団体に関わったのち、独立した。障害者年金を受給し、透析で命をつなぎながらの活動だ。企業からの食品提供のほか、生協などの協力で、各家庭が余剰食品を持ち寄る「フードドライブ」に取り組み、扱う食品は年間約20ォ。年間延べ450カ所に届けるが、まだまだ仕組みづくりの途上にある。「府内の食品ロスは約13万ォで、扱っているのはほんの少し。必要なところに食を届ける仕組みを確立するために、認知度を上げたい」。広く知ってもらうことで企業からの協力や助成金などの支援も得て、職員を雇用できるようなしっかりとした組織の確立を目指す。

 課題は多いが、今あらためて思う。「喜んでもらえることでできることがあって、幸せですね。フードバンクをやるために、今までのキャリアがあるんちゃうかな」

 (フリーライター・小坂綾子)