ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

アルツハイマーを克服したい
根治の夢 新薬にかけ


写真
若いころは詩人か小説家になることが夢だったという杉本さん、話題は豊富だ(京大で、写真・遠藤基成

創薬の達人
杉本 八郎さん
(2010/07/20)



《膨大な費用と時間をかけても成功率は0.02%といわれる新薬開発で杉本さんは2度も成功を収めた稀有(けう)な方ですね。「創薬の達人」と呼ばれるゆえんでしょうが、2度目は製薬会社エーザイ在籍中に開発された世界で初のアルツハイマー病治療薬(商品名アリセプト)でした》

 若いころは新薬開発がどんなに難しいかを知らなかったこともあって、人生で三つの新薬を創(つく)る、と自分で決めていました。周囲の皆さんや運にも恵まれてここまで来られたのですが、ここまで来た以上は「三つの新薬」の夢を実現したいと頑張っています。  アリセプトは今では世界で最も多く使われている治療薬だと思いますが、残念ながら症状を改善したり進行を遅らす対症療法にとどまっているのです。三つ目はなんとしても根本治療薬を開発したい。そうして人生の夢を果たしたい。67歳の今も熱い想(おも)いに変わりはありません。


あと5年10年で

《世界的な巨大市場を生む根本治療薬の開発は多くの研究者や製薬会社が激しい競争を繰り広げていますが現在はどこまで来ているのでしょう。団塊の世代はその恩恵にあずかれるのでしょうか》

 脳内のタンパク質が酵素によって変化してできる「ベータアミロイド」は凝集すると毒性を持ち、神経細胞を死滅させるという仮説に基づいて研究が進んでいます。

 アミロイドの生成や凝集を阻止することでアルツハイマー病を治療するのですが、臨床試験までいっているケースもあります。しかし最終的にいい結論がでるのはまだ先のようです。

 私たちはもう一つの原因物質とされるタウタンパク質とアミロイド両方の凝集を抑制することでより明確な効果が期待できると考えています。できるだけ早く臨床試験にもっていきたい。

 根本治療薬への道筋は見えていると思います。予想は難しいですが、世界的に取り組まれている課題ですから、あと5年10年でいい展開があるんじゃないでしょうか。

《最初の「創薬」は血圧を下げる薬ですね。アルツハイマー病治療薬に向かわれたのは、今は亡きお母さんが認知症になられたためと聞いていますが》

 私は9人の子どものうち8人目なので「八郎」なんですよ。母は私たちを育てるのに非常に苦労しました。私は母の日常を見て「一人の女性として、こんな過酷な人生があるのか」と思いました。それでも明るく好奇心を失わない母でした。

 絶対親孝行したいと思い、それがやっと出来るころに母は認知症になりました。「あんたさん誰ですか」と母は尋ねるのです。ショックでしたね。「子どもの八郎ですよ」と答えると、母は「ああー、そうですか私にも八郎という子どもがいるんですよ」と。私は「よし生涯かけて認知症の薬をつくるぞ」と覚悟をきめたのです。


ポジティブに挑戦


《工業高校を出て就職し働きながら大学で学び、サラリーマンのかたわら論文を書き、学位をとって退職後は京都大学客員教授に、大学発ベンチャー企業の社長でもあり、今も第一線にいる。この人生を支えているのは何ですか》

 一つは楽観主義です。出来ないことを神さまは与えないと思っています。ある時人事部に異動になりましたが前向きに考えました。

 人事部の採用担当でしたので全国の大学を訪問し、その時の大学の先生方との人脈が今生きています。図書館に夜遅くまでこもって論文を書き博士号を取りました。ポジティブに挑戦していく。挑戦しなければ何も残りません。

 それと私の運の強さの原点には親孝行があると思っているのです。

《「薬王子」という号を持つ俳人でもいらっしゃいますし、剣道では薬業剣道連盟の会長で教士7段、文字通り達人ですね》

 「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」(空也上人の作といわれる)という歌があります。剣道の試合で相手と対峙(たいじ)すれば、どちらも怖いのです。でも打たなければ打たれる。どうするか。身を捨てて飛び込むんです。そこに活路を見いだす。

 芭蕉の弟子の曾良の句に「行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原」というのがあります。この句に込められた最後まで理想に殉じる姿は心打たれますね



すぎもと はちろう
1942年、東京生まれ。61年、東京都立化学高校卒後、エーザイ入社。創薬第一研究所所長などを経て2003年定年退職、京大大学院薬学研究科の寄付講座「創薬神経学講座」教授となる。現在は同研究科の「最先端創薬研究センター」客員教授として、ノーベル賞受賞者田中耕一さんらとアルツハイマー病の新たな診断・治療法研究に取り組む。京大発の創薬ベンチャーである株式会社ファルマエイトを04年に設立、現在社長を務める。「薬のノーベル賞」といわれる英国ガリアン賞、恩賜発明賞などを受けている。