ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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授業にはご家族を亡くした方や看護師さん、それに経営学を学ぶビジネススクールの人など多彩な人が聴講に来ます。皆さんの感想は「これは自分のために必要なものだった」ですね(関学大で、写真・遠藤基成

死生学を教える 藤井 美和さん
(2010/10/12)



《藤井さんは、大学で死生学講座を持たれた草分け的存在ですが、日本ではまだ広く知られていない死生学は、どのような学問なのでしょう》


「死に方」は「生き方」

 病気で余命半年と言われたら、残された半年をどう生きようか、どういう形で人生を締めくくろうか、と考えると思うんです。

 死というものが意識にのぼってくると、生きるということはどういうことか、に向き合わざるを得なくなります。

 「死に方」は「生き方」なんです。生きることと、死ぬことを切り離すことはできません。死を含めて、どう生きるかを考えるのが死生学なのです。

《死生学の授業では、がんになった若者の日記を追体験しながら、自分が大切だと思ってきたことを次第に手放して、最後に何が残るか、最も大切なことは何かを自ら問い直す「死の擬似体験」が注目を集めていますね》

 擬似体験にはそこに至る段階が重要です。まず理論的な学問としての知識が大切です。これは三人称的な見方ということができます。次いで二人称的な見方として、実際に大切な人や家族の死に直面した体験などを持つ当事者の方に授業に来てもらって話を聞き、より身近に問題を感じ取るようにします。

 そして、その上で最後に一人称、自らの問題として疑似体験をするのです。

 私たちは丸裸で生まれてきて、それだけで喜ばれる存在だったんですね。でも人生の中で、強固なよろいを着込むようにいろんなものを身につけていきます。そして「よろい」を失うことが自分を失うことのように考えてしまう。

 擬似体験で、身につけたいろんなものを手放し、あるがままの自分に立ち戻ったときに、信頼関係とか愛とか感謝とか、そういう目に見えないものが本当は自分を支えてくれるものだと分かってくるのです。

《擬似体験の授業をするのは、藤井さん自身がある日突然、死に直面せざるを得なかった体験があるからと聞きましたが》

 28歳のときですね。新聞記者という仕事にやりがいを感じている自分に満足していた私が、突然難病になったんです。意識はあるのですが体がまったく動きません。まばたきも息もできません。まひが心肺機能に及べば命はない状況でした。

 「何のために自分は生きてきたのか、何か人のために、家族のためにしたことがあっただろうか、何にも出来ていなかった」。そんな思いがわいてきました。あのまま死んでいたら、人は究極の状況で自分の生き方を問われるのだ、後悔しても遅いのだということを学んで死んだと思いますね。

 私は驚きました。あんなに自分の人生に満足していると思っていたのに、自分のことは自分が一番分かっていると思っていたのに、本当はちっとも分かってはいなかったからです。


 知識を学び人の話を聴き、最後に自分のものにしなければ分からない。だから疑似体験のワークショップをします。

《その後長いリハビリを経験され、福祉分野を志して大学に再入学し、米国に留学して死生学を学ばれることになります。この人生の「再チャレンジ」の出発点は何だったのでしょう》

 死を免れてからも、全身まひで生きるのはつらいものでした。何で私はここにいるのか、自分が存在していることを肯定できない。ありのままの私でよいという確信を得たかった。家族や周囲の人が自分のことをかけがえのない存在だと認めてくれたことは大きな助けでした。でもそれだけでは十分ではなかったのです。

 私の場合はクリスチャンですので、それは神さまから与えられました。生きる意味を考えるとき、人とのよい関係も重要です。でも同時に何か人を超えたものに支えられる関係も重要だと思います。

《そのような悩みは、スピリチュアル・ペイン(根源的な痛み)と呼ばれていますね》


人生の質に直結

 日常的には顕在化していないのですが、危機にぶち当たったとき、「何のために生きるのか」などの形で顕在化する痛みです。危機は自分の死だけではありません。家族を亡くすことも離婚も経済的な破綻などもあります。

 「何のために」と意味を問う、「誰からも愛されていない」と関係を問う、「ここにいることが肯定できない」と存在を問う、このような苦しさ、つらさ。根源的な痛みはすべての人にとって、人生の質、いのちの質に直結する問題です。そこにかかわっていくのも死生学の大きな役割です。



ふじい みわ
関西学院大学人間福祉学部教授、死生学・スピリチュアリティ研究センター長。1959年生まれ。「現場に居る」ためにジャーナリストを目指し、大学卒後は新聞社に入社。副編集長として、働く女性のための新媒体を発行する激務の中で神経難病に倒れる。入院とリハビリ3年間のあと、関西学院大学に学士編入し、大学院卒後にワシントン大学に留学、博士号を取得。共著に「たましいのケア」(いのちのことば社)など。