ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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虐待の子らに立ち直りの場を
心に響く和太鼓 生きる力に

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「るんびに学園」には臨床心理士、看護師、児童指導員、保育士、栄養士など多彩な職員がそろっている。昼食準備をする職員との談笑(綾部市十倉中町)

るんびに苑理事長
藤 大慶さん
(2010/12/14)



《「るんびに学園」とはどんな施設で、どういう教育をするのですか》

 家庭や学校などのストレスで心が不安定になった子どもを入所させる施設ですが、多くの子は虐待を受けています。そういう子は自分を守ることに精一杯で、他人に配慮できないのが特徴です。まったく話をしなかったり、すぐに暴力を振るったり。私が「よく来たね」と言って抱きしめようとするとみぞおちを殴られる。それがその子なりのコミュニケーションでしょうね。

 だから規則正しい生活習慣を身につけると共に、カウンセリングなどを通じて心身の健康回復を図ります。小・中学校の先生に来てもらい授業も行います。時には家庭の雰囲気も味わってほしいので、私たち夫婦が近くの民家を借りて、一晩一緒に過ごすこともあります。簡単にはいきませんが、多くの子はどんどん良い方向に変わっています。



《藤さんが、青少年問題に携わるようになったきっかけは何ですか》

若者の深刻な声

 私はいわゆる「よい子」でしたが、20歳ごろからがんじがらめの自分が嫌になり、殻を破りたいと思うようになりました。防衛大を2年で中退し、龍谷大に入り直しましたが、あげくの果てに生きていてはつまらないと思い自殺を図りました。幸い未遂に終わりましたが、何のために生きるのか、長い間探し求めていました。東京に出てカウンセリングを学びながら、職業を転々としているうちラジオ大阪の深夜番組のディスクジョッキーの職を得ました。そこでリスナーの若者から「薬物をやめたい」「親を殺して自分も死にたい」などの深刻な投書を読むたびに、これは自分が悩んできたことと、根は一緒ではないかと気づいたことがきっかけです。

《それからどんな活動をしたのですか》

 住職を務めた大阪府茨木市の寺を拠点に子供会や少年野球部をつくりました。住民同士の交流を深めてもらおうと、あいさつ運動を始めたり、品物を持ち寄って売り買いできる朝市を開いたりしました。そんな中で和太鼓に出会い、シンナー、家庭内暴力、自殺未遂などで揺れる中高生のための「るんびに太鼓」を発足させました。しかし家庭にいてはなかなか立ち直れないので「引き取って一緒に暮らす場がほしい」と常設施設の建設を思い立ったのです。




《それで綾部市に「るんびに学園」を開いたのですね》



初めは合宿から

 一足飛びにはいきませんでした。ただ私の思いに賛同してくださった人が集まり1993年に「るんびに苑後援会」が発足しました。一方で、91年から5年間、奈良県の吉野で7泊8日の合宿生活「短期るんびに苑」を開きました。その後、岡山県で施設用地の買い取り交渉を進めましたが、地元の同意が得られず断念。どん底に落ちた時に綾部市十倉中町の現在地の話があり、市と地元に快く受け入れていただきました。

 折り良く、私がイメージしていた施設に近いものを、情緒障害児短期治療施設という名で、厚生労働省が各都道府県に最低1カ所をめどに計画していることを知り名乗りを上げました。ただ京都府からの社会福祉法人格の認可と建設資金の借り入れなど、素人の私には大変でしたが、多くの人の口添えや資金援助があって2003年6月に「るんびに学園」を開園できました。この間、逆境の中で同じ志を持つ人に出会えるなど、奇跡のようなことが次々と起こりました。「有り難い」とは文字通りそういうことかと振り返っています。

《「るんびに太鼓」はすっかり定着していますね》

 25年ほど前に中学生だった長男が悪童仲間を連れてきてたたいて見せたのが始まりですが、内臓を揺さぶられるような響きがありました。ばちを構えると子どもたちの表情が生き生きとする、まさに言葉のいらない教育です。茨木の「るんびに太鼓」は国内や海外公演も行いました。綾部のるんびに学園でもこれを導入し、今も市や地元の行事に招かれ演奏しますが、一生懸命に太鼓をたたいている姿を見ると、いつも感動して涙が出てくるんですよ。

《教育で一番大切なことは何だと思いますか》

 方法はいろいろあるのでしょうが、大切なことは導く側が一つになること。大人が生き生きと支え合っている姿を見たら、子どもたちは放っておいても生きる力が出てくると思うのです。


ふじ だいけい
社会福祉法人るんびに苑理事長。浄土真宗本願寺派布教使、大阪教区茨木東組西福寺前住職。1942年、福岡県朝倉市の寺の5男として誕生。父が事情を抱えた家庭の子を寺に引き取っていたので一緒に育てられ、その後の活動の原点になる。龍谷大文学部仏教学科卒。2008年6月には「あやべ若者サポートステーション」を開所しセンター長に就任。ニートや引きこもりの若者を受け入れている。