ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

苦しみ救う「聴くことの力」
話し尽くせばプラスに

写真
講演では聴衆の世代に合わせて「鉄腕アトム」や「ドラえもん」など人気アニメの話もします(京都大で、撮影・遠藤基成

「生と死」を研究
佐藤 泰子さん
(2011/01/18)



《佐藤さんは「聴くことの力、話すことの力」と題して各地で講演をしています。なぜこのテーマを選んだのですか》

 大学院に入学後、研究の場としていたホスピスで、ある終末期のがん患者の人と過ごしたときのことです。その人は「早く死にたい」と何度もつぶやきながらも、過去の思い出や家族のことなどたくさん話しました。ところが最期が近づくにつれ、穏やかな表情で黙って外を見ていることが多くなりました。

 そこで、人は苦しいときに、なぜ話を聴いてもらいたいのか。語りきった後の静寂は何を意味するのか。話すことによって力を回復するのなら聴くことはすごい援助だし、このメカニズムを解明しなければならないと考えました。



前向きに、意欲的に

《佐藤さんが考える苦しみのメカニズムとはどのようなものですか》

 たとえば入学試験で不合格になったり、がんの宣告を受けたりすると私たちは、まずその事柄に当然「ノー」という否定的評価を下します。この場合、対極には「こうだったらいいのになあ」という理想的状態が必ず存在して「こんなこといやだ、許せない」という苦しみの感情を呼び起こし心をさいなみます。

 ただ人は苦しい中を永遠には生きられないので、まず「苦しい事柄」を動かそうとします。入試であれば再挑戦だったり、がんと宣告された時はひどく落ち込んでも、いったん「治す」と決意すれば、こうあって欲しい事柄、つまり「生きる」の方に意識が向いて意欲的になります。

《どうにも動かせない事柄もあると思います。その場合はどうなるのですか》

 そのケースのほうが多いでしょうね。末期がんや不治の病、主体の力が及ばない社会的状況のように。その場合、人はまず絶望を感じます。しかし現状では苦し過ぎますから、事柄の「意味・現れ」を変えていこうとします。もちろんすぐできるというものではありませんが。




《具体的にはどういうことですか》

 たとえば、交通事故で車いす生活になった青年は車いすバスケットを見に行ったのをきっかけに、引きこもりから脱して素晴らしいアスリートになり、語りのなかで「家族の愛情に気づいた」と言います。またあるがん患者は「家族の大切さ、人の温かさ。がんになるまで分からなかったし、考えたこともなかった」と語っています。ここでは交通事故やがんが「恨めしい事柄」から「気づきを与えてくれた事柄」へと、意味が変更されたのです。

《そこでなぜ話すことが必要になるのですか》

 私はいつも講演で問いかけるのですが、私たちは物事を考えるとき、何を使っているでしょうか。それは「言葉」です。話すというのは私たちの思いや考えを言葉によって再構成することです。ところが一つ一つの言葉が喚起するイメージは人によって違うので、百パーセント相手に伝えられるものではありません。それでも何とか分かってもらおうと、言葉をつむぐプロセスが重要なのです。語る前、意識に上がってくるのは、不満や怒りといったマイナスの感情が多いのですが、語りの中から、苦しみの中に隠れていた新しい鉱脈にぶつかります。最初は死にたいと言っていた末期の患者が、話し尽くした後に「こんなによくしてもらって」と医師や周りの人に感謝するのもその一例です。



分かってもらえた感

《その場合、聴き手の役割は重要ですね》

 はい。プラスの鉱脈を発見するためにはマイナスを、すべて吐き出す必要があります。それには時間がかかります。その時、聴き手がさえぎるような行動をすれば患者は深く傷ついてしまいます。話し手に「分かってもらえた感」を与えられたら、良い聴き手と言えるでしょうね。ここに「感」とつけているところがポイントです。すべては分からないのが前提ですから。

《聴くことの大切さは、医療だけでなく、世間一般に通用しそうですね》

 学校のいじめを例にすれば、いじめられている子の苦しみを親身に受け止める前に「その子にも非があるのではないか」と詰問するようなことになると、もう子どもは話さなくなります。原因の究明はその子が「わかってもらえた感」を与えられてからでいいのですよ。今後は教育界など多方面の人に、私の考え方を知ってほしいですね。


さとう・やすこ
1960年生まれ、香川県で育つ。京都大大学院人間・環境学研究科で研究をしながら、京都大学医学部非常勤講師。講演活動多数。
「生と死」に興味を持ち、葬送儀礼を大学の卒業論文テーマに選ぶ。専業主婦をしていた37歳の時に同大学院修士課程に入り育児をしながら研究、2009年3月、博士課程修了。「人生どこからでもスタートが切れる」と振り返る。近く「苦しみからの解放のために―聴くことの救い、語ることの希望―」を晃洋書房から出版予定。