京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●この人と話そう
クッキーが広げる障害者雇用 |
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社屋2階のキッズカフェで開く情操教育のイベントには京都市内各地から赤ちゃんと母親が集まる。「ゆくゆくは障害のある子と健常児の交流にも使いたいですね」(写真・遠藤基成) |
《石井さんは本業の熱帯魚店に加えて、障害者を雇用するために「京野菜くっきい」というユニークなお菓子の製造と販売もされています。障害者を雇うきっかけは何だったのですか》
2009年4月に京都中小企業家同友会の会合で就労支援事業所の所長と知り合い、頼まれたのがきっかけです。精神障害のある30代の男性を紹介され、8月から熱帯魚店で就労実習を始めてもらいましたが、当時は特に福祉に関心があったわけではありませんでした。
《受け入れに当たって困ったことはなかったですか》
一般的に精神障害の場合は体力がなく、2時間ぐらいで疲れたり、次の日に来なかったりすることがあります。しかし彼の場合は労働時間も少しずつ伸ばし、1日5時間、週20時間の勤務を3カ月間続けることができたので、12月に正規雇用に切り替えました。実習中には就労支援事業所の人が付いてくれたので受け入れはスムースでした。
《障害者の受け入れ人数を増やしていますね》
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《今後も雇用を進めていくつもりですか》
無制限に雇用を進めるわけにはいきませんが、障害者と健常者が交流できるスペースは作りたいですね。今年1月に熱帯魚店の向かいのビルを買い取り、菓子店とカフェ、工房をすべて集約しました。2階のカフェには遊具やピアノを備えたキッズコーナーを設け、ピアノの先生に来てもらって情操教育のイベントもしています。ここで障害のある子と健常児の交流ができないか考えています。
《最初は福祉にそれほど関心がなかった石井さんが、障害者支援にかける思いはどこから来るのですか》
私は2歳か3歳の時にやけどし、左肩がケロイド状になっています。幼稚園の時から、初めて会う友だちには奇異な目で見られましたが、そのうち一人一人顔立ちが違うのと同じように、「これが石井君や」と受け入れてくれました。小、中、高と同じような体験を繰り返すうちに、仲間が広がりました。人と違っていても受け入れていくことは、そんな自分の体験から学んだ気がします。
《将来の夢を教えてください》
障害のある人が利用できる場を、もっと大規模に作りたいと思います。右京区京北の2000坪の土地を「うまく使えないか」と言ってくれる人がいます。そこに里山公園を作って、自閉症の子らが馬やポニーなどの動物とふれあうことができるようにしたいですね。 カフェやバーベキュースペースを設けて何とか採算に合うように持って行きたいです。
これまでは「やれる範囲でやればいい」と思ってましたが今は「全力を尽くさないといけない」と思い直しているところです。資金的には大変ですが、ぜひ実現したいと思っています。
いしい・ゆういちろう
1965年、京都市中京区生まれ。
関西大法学部卒業後、アパレル会社を経て仏壇の製造卸の会社に就職。家業は絞り染め工場だったが新興国の台頭のあおりで95年末に廃業。その際に退職し、工場跡地で父親とともに熱帯魚販売とメンテナンスの会社「グラン・ブルー」を興し社長に。京都中小企業家同友会下京支部副支部長。