京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●この人と話そう
生きた軌跡を肯定する手助け |
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日曜礼拝で祈りをささげる安部さん。「牧師というより人間として、一人一人の人生に寄り添うよう心がけています」(近江八幡市・ヴォーリズ記念病院礼拝堂=写真・遠藤基成) |
《病院の専属牧師(チャプレン)は関西で20人もいない珍しい存在と聞きます。チャプレンになったきっかけは何ですか》
「前任の牧師が一般教会に戻るから」と同志社大学神学部より紹介がありました。学生時代に入院患者を訪問する授業があって興味を持ち、なれるものなら一度はやってみたいと思っていました。ただ医師や看護師という専門集団の組織の中でやっていけるのか不安はありましたが、この病院では開設以来93年間牧師がいた伝統があり、みんなスタッフの一員として認めてくれています。
《毎日どんな仕事をするのですか》
普段は、一般病棟とホスピス、回復期リハビリ病棟など計160床の病室を回って患者さんに声をかけたり、高校野球などの世間話をしたりします。週一回聖書の言葉を私なりに解説する「サナニュース」の執筆をしますし、日曜朝には礼拝を執り行います。あと、カンファレンスと呼んでいる医師や看護師らとのスタッフミーティングに参加します。
《安部さんは宗教者ですから、きっと患者の心のケアについての発言が期待されているのですね》
少し違います。心のケアは私だけでなく他のスタッフも担います。夜勤の看護師さんに自分の思いを語られる患者さんも多くおられますから。
《安部さんも牧師という立場上、患者の悩みに接することが多いのではないですか》
サナニュースには、「悩みを聞いてほしい人がいたら気軽にチャプレンを呼んで」と書いていますが、日ごろ関わりの深い看護師やケアワーカーがいますので、私に直接相談を望まれる方はあまりおられません。ただ呼ばれたときはその人の生き方や価値観を無条件に受け入れられるよう自分の中で心を整理します。
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《安部さんが牧師として活動する原点は何ですか》
初任地は兵庫県西宮市でしたが、1年目に阪神大震災に遭い、どうしようもない無力感にさいなまれました。その後の任地でも信徒さんとのあつれきで悩んだこともありました。「牧師だから」と肩肘を張っていましたが、今は「1人の人間として神様から託されているんだ」との気持ちで人に接しています。
福島県で暮らしたこともあり、東日本大震災は他人事ではありません。「周りの人は、まず被災した人の思いを受け止めることが大事かな」と思います。機会があれば行って役に立ちたいですね。
(注)ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)
信徒の立場でキリスト教伝道のため米国から来日。建築家でもあり同志社大、関西学院大など日本各地で多数の西洋建築を手がけた。ヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)創立者の1人で1918(大正7)年、近江療養院(現・ヴォーリズ記念病院)を開設した。
あべ・つとむ
1962年生まれ、東京都出身。
17歳でキリスト教信徒となる。明治学院大社会福祉学科卒業後、横浜市のYMCA健康福祉部で3年間、キャンプや水泳を指導。「本格的に勉強したい」と同志社大神学部に入り直し94年、同大大学院博士課程前期課程修了。兵庫県西宮市、福島県会津若松市、北海道千歳市の教会でそれぞれ牧師を務める。2008年4月からヴォーリズ記念病院礼拝堂チャプレン。祖父・正義(せいぎ)さんは音楽家で、賛美歌「まぶねの中で」の作曲者として知られる。