京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●この人と話そう
悩み聞きとり、解決示唆 |
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男性介護者の話に耳を傾ける。「解決策は本人が決めることですが、体験に基づく選択肢を示唆したいですね」(京都市中京区・ほっとはーと) |
《山内さん自身の介護の体験を教えてください》
18年前に妻が脳内出血で左半身の片まひになり、続いて母も認知症で介護が必要になりました。最初は娘2人が世話や家事を行ってくれたのですが、妻は体の自由が利かないのでうつになるし、母は娘に「金を盗んだ」など妄想に伴う暴言を吐くようになるし、このままでは家族全員がだめになると、娘は結婚させて家を出しました。
そうなると私一人で介護することになります。車いすの2人を車に乗せてドライブに連れ出すのですが、一番困ったのがトイレです。障害者用はほとんどなく、洋式便器さえ数少なかったので、女性用の個室を開けて探していると奇異な目で見られ、つらかったですね。
《仕事との両立はできたのですか》
いいえ。もともと建築設計の仕事で、昼は現場で采配し、夜は図面を描いたり事務作業をしていましたが、睡眠不足が続き、最後は仕事を諦めるしかありませんでした。
母は13年前に他界し、妻は3年前に老健(介護老人保健施設)に入りましたが、それまで介護の生活が続きました。
《男性介護者を支援する会を立ち上げたのはなぜですか》
介護の手が離れ、フリーカメラマンの職を得て少し落ち着いたころ、立命館大の津止正敏教授が「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を作ったとの新聞記事を見て入会。会の催しで知り合った仲間3人で昨年3月「一緒にやろうか」と意気投合しました。
私にとっての介護はかけがえのない体験です。どうすれば世間で共有でき、行政に提言できるか。その思いを実現したいと思いました。
《どんな活動をしているのですか》
毎月第2水曜と木曜に喫茶店で「TOMO」と名づけた集いを開いてます。会員は名簿に上がっているだけで約40人ほど。介護の悩みは当事者でないと分からないので、できるだけ話を聞きます。
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《山内さんは今の福祉の制度をどう見ていますか》
妻は1カ所に落ち着くことができず老健を転々としています。本来は3カ月しか入れず特例でも6カ月。本当は特別養護老人ホームに入れたいのですが、私が元気なので要件を満たしません。ただこれが制度の不備かというと、なかなか難しいですね。
《2000年から介護保険制度ができました。どう評価しますか》
助かっている面は多いと思います。男性介護者の多くは「自分で介護してやりたい」という気持ちがあります。でも現実にはできるわけがなくて、やがて「こんなはずではなかった」と精神的に追い込まれて行きます。
男性は仕事で家族を支えないといけないし、大切なのはいかに制度を利用するかですね。足りないところは、改善を求める必要があります。
《そのような制度面のアドバイスもするのですか》
はい。例えば世帯分離という方法があります。家族が届け出上、別の世帯になることで、住民税が非課税の世帯など特典が得られる。ただ健康保険とかあらゆるものが別になるので、ケースによっては損になる人もいます。
制度や税制は幅広く複雑なので、本当に大切なことは役所や福祉事務所の窓口に行ってもらわないといけない。私たちの役割は体験に基づくいろんな選択肢を提供して、解決策を示唆することと思っています。
《ネットワークが広がっているようですね》
健康医療機器のメーカーや社会福祉協議会の人が、TOMOに来てくれたりもします。初対面でも話をすると共通の知人がいたりする。そんな人と人のつながりを大切にしていきたいですね。
やまうち・てるあき
1945年生まれ、京都市東山区出身。
京都市立日吉ヶ丘高卒業後、父親の材木店で働く。取引先の工務店に興味を覚え、専門学校で学び建築設計の仕事に就くが介護のため断念。5年前に右京区の大覚寺近くに転居し「もう一度仕事をしたい」と一念発起。寺を舞台に結婚を前にしたカップルの和装写真撮影を始める。孫6人に恵まれ、町内会の副会長も務めている。