ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

生きる力引き出す熟年ピエロ
病院・被災地で心通わせ

ケアリングクラウン「トンちゃん一座」代表
石井裕子さん(2012/04/10)


写真
風船で作ったいもむしを担いで子どもたちとパレードするトンちゃんこと石井裕子さん。(中央)。トン平こと夫の泰雄さん(左奥)は得意のハーモニカで場を盛り上げる(3月24日、湖南市・三雲児童館)
《ケアリングクラウンとは何ですか》

 クラウンと言うのは道化師で、ピエロの格好をしますが、サーカスの曲芸をするわけではありません。病気の人や高齢者、障害のある人や自然災害の被災地に出かけていって、一緒に時間を過ごしながら、その人が本来持っている、自分で自分を癒したり、元気づけたりする力を引き出す、そのお手伝いをする役です。

《石井さんがクラウンになったきっかけを教えてください》

 カウンセリングなど福祉に関する活動はずっと行っていました。1999年に広島で、障害者の家族が集まるパーティーがあって行ってみるとピエロがいて、とても温かい感じでニコニコ笑っているのに感心しました。自分でもやりたいと思い、次の日には小道具のバルーン(風船)の作り方講座を開いてもらいました。活動を始めて14年目になります。



「なごみ感」が大切

《それから本格的に研修を受けるのですね》

 アメリカの大学の夏期講座で研修が受けられると聞きました。でも英語はできないし迷ったのですが、夫と、当時ホームステイしていたドイツ人の留学生が、応援してくれました。3人の子の学資を払い終わった後だったのも幸いし、数年間は毎年アメリカへ通いました。

《クラウンとしてはどんな活動をしたのですか》

 最初は子育て講座でした。子どもたちは赤い鼻のピエロの私が登場するとこわがって泣き出すのですね。するとお母さんたちは子どもを私と握手させようとするのですが、無理やり近づけてもうまくいきません。しかし私がパフォーマンスを通じてお母さんたちと心を通わせると、子どもたちも自然に握手を求めてきます。「なごみ感」を与えることが大切です。


《他の施設にも通っているのですか》

 はい。ボランティア仲間の紹介で大阪府の病院が、患者の精神的なケアのためにと招いてくれました。ただ最初は何かあってはいけないと、事務局長から看護部長から幹部が一緒に見に来ました。幸い患者さんに好評で、そこには今も定期的に通っています。病院のほかには特別養護老人ホームやデイサービス、グループホームといった高齢者施設。養護学校や障害者施設も行きます。月のうち半分はクラウンとしての活動に充てています。

 風船を使った活動が中心で、飛んでいっても環境を汚さないよう土に返る素材のものを使っています。



治癒にもひと役

《クラウンとしての楽しみは何ですか》

 高齢者施設に行くと「私はもう役に立たない」「死んだほうがましや」という人がいます。そこで私は「皆さんが長い間働いて積み重ねてきた宝物がいっぱいあるのが、トンちゃんには分かりますよ」と言うと反応が変わります。病院でも感情を表現しなかった人が泣いたり笑ったりするので、医師や看護師も集まってくることがあったほどです。数字には表れませんが治癒にも役立っているとすればうれしいですね。

《トンちゃん一座にはどんなメンバーがいるのですか》

 学生時代の愛称から「トンちゃん」と名乗り、最初は一人で活動していましたが、PTA仲間で荷物係などをしてくれていた女性にも入ってもらい、2人での活動になりました。その後、製薬会社の研究職だった夫が定年退職し、その女性の夫も加わり2夫婦4人で「トンちゃん一座」を結成しました。全員60歳以上の熟年カルテットです。

《東日本大震災以降、心のケアの大切さが言われています。石井さんたちの活動も役に立ちそうですね》

 最初のうちは、私たち年配の人間で役に立つことがあるかと被災地に行くのを遠慮していたのですが、クラウンの活動が縁になり、岩手県平泉町を拠点に「大根コン」という支援プロジェクトをしている人の仲立ちで、昨年6月と10月、今年2月に陸前高田市と大船渡市に入り、保育所や病院のほか仮設住宅でも活動しました。

 被災者の皆さんはやはり疲れておられるので、横並びで歩けるようになるまでできる限りのことをしたいと、5月にまた訪ねる計画です。

《これからやりたいことはありますか》

 ケアリングクラウンは人とかかわる仕事ですから、いろいろな場所でたくさんの人と時間を共有しながら、楽しい老後を過ごしていきたいですね。

いしい ひろこ
1949年生まれ。島根県出身。
結婚後に大津市で暮らす。2005年、入院中の子どもたちが、子ども本来の力と笑顔を取り戻すことを支援するNPO法人日本クリニクラウン協会設立に尽力し、現在同協会トレーナー。10年まで15年間民生児童委員。「ふれあいお食事ハウス・フィーレンダンケ」と銘打って、月1回、自宅を開放して手料理でもてなす。
著書に「トンちゃん一座がゆく」たった4人の熟年ケアリングクラウン活動記」(オフィスエム)。