ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

生きづらい内面がアートに
力の数々、美術館に常設

障害者支援施設「みずのき」施設長
沼津雅子さん(2012/06/12)


写真
九州へ引っ越すボランティア夫妻の送別会。みずのきに入所している「アーティスト」の一人は、自身が描いた絵を贈った(亀岡市・旧丹波国分寺庫裏)
《沼津さんが知的障害のある人とかかわるようになったのはなぜですか》

 私は本来、「相談」を通して生活問題の解決、調整をする仕事につきたいと思って社会福祉を学んだので、自身の考えや思いを自ら伝えにくいという意味で、知的障害のある人への支援につくことは考えていませんでした。ですから社会福祉法人松花苑の理事になった後、同法人が運営する「みずのき」の施設長に推された時も固辞したのですが、周囲からは「ソーシャルワークの視点で、一人ひとりを大切にする支援を伝えてほしい」と説得され、引き受けました。今年で14年目です。

《「みずのき」は長年、知的障害のある人の入所支援をしてきていますが、入所支援で大切なことは何ですか》

 「みずのき」で暮らす人たちは知的に大きな制約のある人たちで、生活全般に介助が必要です。大多数が言葉でのやり取りが全くできないか、幼児のようにシンプルなコミュニケーションしかできません。職員は彼らの表情や行動から察して適切に対応しなければなりません。1959年の設立時から暮らす人もいて、年々高齢化しています。


尊厳守るため

《入所している人が高齢化すると、どんな問題が出てくるのですか》

 みんなが若かった時は、職員ともども農作業をしたり、工芸品を製作したり生産的な活動も盛んでした。高齢化とともに心身の機能低下が著しくなり、日常の活動も平板なものとなり、職員の業務も介護、介助中心の支援となり、職員は目標を見失いがちとなっていきました。この状況にしっかりと向き合わないと、障害のある人の尊厳が崩されかねない事態が起きます。

《「みずのき」では、入所者のアートに取り組んでいます。なぜそういう活動が必要なのですか》

 重い障害のある人たちが豊かに暮らす環境をつくることが私たちの事業の目的です。今、私たちは、園芸、音楽、アートをたいせつな日課として位置づけています。「みずのき」では設立の5年後から絵の時間が設けられました。情操教育をたいせつにしたのです。

 週に1回だけでしたが、日本画家の西垣籌一(ちゅういち)さんが指導者として招かれました。西垣さんは、14年たって、彼らには「何かがある!」と気づき、さらに力を入れてかかわります。そのうち公募展に出展を重ね高く評価されていきます。ついに94年10月にはスイス・ローザンヌのアール・ブリュット美術館(アール・ブリュットとは、「生(き)の芸術」と訳される。既成の枠組みでつくられたものでない芸術作品がこの美術館には収蔵されている)に「みずのき」の6人32作品が永久収蔵されることになりました。障害のある人も含め、この社会で生きづらいとされる人たちは、言い表せないものを内側にいっぱい抱えていると思います。周りがそれらに気づくことが大切で、表現されたアートは無言で私たちに多様なメッセージを伝え、私たちとの交流を生むと思います。


《沼津さん自身も障害者アートに関心があるのですね》

 「障害者アート」ではなく、「美術史に定義されている範疇(はんちゅう)」に収まらない作品の中で、人の内面を何らかのかたちで揺さぶる力のある作品や作者の発見や展示であり、それらを通して、人の存在の多様性に気づき、受けとめていってもらう機会をつくることに、関心を持っているのです。亀岡にもそういった作品を集めた美術館をつくろうという話が持ち上がりました。


地元にも拠点

《どんな美術館ですか》

 近江八幡市に滋賀県の社会福祉事業団が運営する「ボーダレス・アートミュージアムNO―MA」という美術館があります。ここが発起人となり、こうした美術館を全国に何カ所かつくろうというネットワーク会議が発足し、「みずのき」も選ばれ、日本財団が協力してくれています。

 亀岡駅近くの旧市街にある理髪店を建て替えます。展示内容や運営態勢にも厳しい条件がありますが、建築的にも高い水準が目指されています。この秋には瓦屋根としっくい壁の町家の風情と現代的な要素を併せ持つ建物に生まれ変わります。

《どんな人の作品を展示するのですか》

 「みずのき」の作品とともに、他の事業所、他の地域から「アール・ブリュット」とされる作品を紹介していきます。その企画、展示には、プロのアーティストたちにも多様な形で参加してもらいます。この美術館で、びっくりするような衝撃と、喜びに出会ってもらいたいと願っています。

ぬまづ・まさこ
1950年生まれ、大阪市出身。
78年、同志社大学大学院社会福祉学専攻修了。一般病院のソーシャルワーカーを8年間勤めた後、府の精神保健総合センターのデイケアスタッフ、個人クリニックの相談業務、大学などの講師のかたわら、臨床心理士の資格を取得。スクールカウンセラーの委嘱を受け、不登校やいじめの問題にかかわる。
99年から亀岡市河原林町の障害者支援施設「みずのき」施設長。隣接する丹波国分寺跡を、亀岡市の許可を得て、ボランティアや「みずのき」利用者らとともに草刈りをして花を植え、景観を守りながらアートイベントを行っている。