ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

がん患者の脱毛の悩みを包む
喜びの声、縫う側も楽しく

京都タオル帽子の会代表
大西ふさ子さん(2012/10/16)


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縫い上げた帽子をかぶる京都タオル帽子の会のみなさん。色や柄はさまざまで、脱毛期のがん患者は好みに応じて選んで楽しめるという(京都市下京区のひと・まち交流館京都)
《京都タオル帽子の会はどういう会ですか》

 がんの患者さんには抗がん剤の副作用で頭髪が抜ける時期があります。その時期にかぶってもらえるようにタオル帽子を作り、病院やがんサロンを通して患者さんに届けている会です。

《タオル帽子とはどんなものですか》

 市販のフェイスタオルを型紙に沿って裁断し、端切れを楕円(だえん)形に切って頭頂にあたる部分につけた帽子で、1枚1時間半から2時間で作れます。タオルは綿なので、汗を吸ってかぶり心地も良く、洗濯が簡単で柄や色も楽しめます。外出などの用途に合わせて着用することもできます。すっぽりと頭全体を包み込むので、脱毛の悩みが少しでも軽くなればと思っています。



サロン的役割も

《会にはどんな人が参加しているのですか》

 何かのボランティアをしたかったという方や、昔、縫い物をしていたというお年寄りなどさまざまな女性ですが、30人の会員の半分くらいはがんの患者さんです。

 作業は京都市下京区の「ひと・まち交流館京都」、上京区の自宅、京都桂病院のがんサロンきずな(西京区)、長岡京市の済生会京都府病院のがんサロンなでしこで集まって行います。こちらで提供したタオルを家で縫っている人やご近所の方同士のグループもあります。

《会員にがん患者さんが多いのはなぜですか》

 帽子をきっかけにして話を聴かせていただくことが多いからでしょうね。夫をなくした人が大泣きしながら作業されることもありました。自宅での集まりでは聴くほうが中心になることもあります。一種のがんサロンですね。

《会を立ち上げたきっかけを教えて下さい》

 タオル帽子は盛岡市の市民グループ「岩手ホスピスの会」の発案です。3年前、その会のメンバーが京都で講座を行ったという新聞記事を見て、私もやってみようと思いました。型紙を取り寄せて縫いあげて勤務先の桂病院の患者さんにかぶってもらったら、とても喜ばれて…。

 看護師として定年を迎え、これからどうしようかと思っていた矢先だったので「これなら私もできるかもしれないなあ」と、1年ほどかけて院内ボランティアや有志の方と千枚ほど縫って桂病院の患者さんに配っていました。

《それから会の結成に向かうのですね》

 はい。PTA仲間だった人ですが、家族ががんで亡くなった体験から「何か役に立つことはないか」と言っておられたのを聞いて、一緒にやろうと声をかけ、去年の11月1日に3人で立ち上げました。当時、京都新聞で採り上げていただいたので、興味を持った方が集まってくれました。



できる事だけ

《配布先はどれだけあるのですか》

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 最初は桂病院だけでしたが、話を聞いた他の病院やがんサロンに通う患者さんからも欲しいという声が届き、病院やサロンを通して、現在18施設に月200枚以上を無料で届けています。

 患者さんから手紙をもらったり、届けてくださる看護師やソーシャルワーカーから感謝の言葉を伝えていただくこともあります。それが一番のやりがいですね。

《タオル代などの費用はどうやって工面しているのですか》

 タオルは柄や材質の種類が多いので大阪の船場に買いに行きます。費用は一口千円の会費や寄付・助成金。他に3枚セットや型紙と見本のセットを千円で販売しておりその代金を充てます。会員さんの中には一人で何口もの会費を払ってくれる人もいます。お金と労力と両方提供してくださり、本当にうれしいです。

《会の仲間の方はどんな感想を持っていますか》

 「作っていて楽しい」と言ってくださいます。中には「化学療法の後遺症で細かい作業ができないので、頭頂部の楕円は縫えないよ」などとおっしゃる方もいますが、その時は「まっすぐのできるところだけでいいよ」と答えます。モットーはできるときにできる事をできるだけすること。だから都合の悪い時はできなくていいし、帽子を部分的に縫うだけでも全然問題ありません。

《今後はどんなことをしていきたいですか》

 社会保険京都病院(北区)で、月1回、看護師さんを対象に帽子づくりの指導に行っています。回を重ねるうちに患者さんも一緒にできるようになればと考えています。そうやって、タオル帽子を通じて、人とのつながりを広げていければいいですね。

おおにし ふさこ
1949年、愛媛県で11人兄弟姉妹の7番目として生まれる。65年、京都に。
病院や開業医のところで准看護師をしながら34歳で京都桂病院看護専門学校入学。2年後に卒業して同病院に就職。2009年8月に定年退職し、現在は再雇用制度で午前中だけ同病院の案内係として非常勤勤務。そのかたわら、がんサロンや院内ボランティア活動にも取り組んでいる。