ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

障害者の雇用で宿泊施設再生
賃金アップ、地域とも連携

よさのうみ福祉会
リフレかやの里管理者

藤原さゆりさん(2013/02/12)


写真
レストランのランチバイキングの後片付け。訪れる人が絶えないが、スタッフが障害者だと気づかない人も多い(京都府与謝野町金屋、右端は青木一博・よさのうみ福祉会事務局長)
《藤原さんの所属する社会福祉法人「よさのうみ福祉会」は、京都府与謝野町立宿泊型保養施設「リフレかやの里」の指定管理者となり、健常者とともに障害のある人も多く雇用しています。指定管理者になったいきさつを教えて下さい》

 運営会社の倒産で閉鎖されていたのを再開に向け、町が指定管理者を募集しているという話を聞き、地元の農産物を使った料理や特産品をセールスポイントにして、採算のとれる形にできないかと、職員5人で計画をつくりました。以前、研修先で見かけた同種の施設がヒントでした。

 福祉会の事務局長に相談すると「お金も人も大変な事業になるよ」と言われました。それでも障害者の雇用も地元の振興も福祉会の目的に合致するので、応募することになりました。

《なぜ応募しようと思ったのですか》

 障害のある人の給料が少な過ぎると作業所に就職した時から思っていました。当時日給450円で給料が月1万円前後です。私は21歳の新人で、同じ仕事を教えてもらいながらしていたのに職員なので10万円近くありました。その格差はショックでした。

 高賃金を得るには、既存の福祉会の事業では難しいですが、リフレのように一般と同様のサービス業なら、障害の特性を生かして働けば何とか可能だと思いました。もう一つは、働く姿を見てもらえるので、障害者に対する理解につながると思ったことです。

《指定はスムーズに実現したのですか》

 いいえ。2009年4月に町にプランを提出したのですが「赤字の大きな要因となっていたお風呂を廃止する」という福祉会の提案に反対があり町議会で否決されました。その後、地元の求めもあり、町が議会に再提案しました。

 福祉会が30年にわたり、丹後地域で作業所や暮らしの場、生活支援センターなど約20の施設を運営し、障害者や家族の役に立ってきたことが評価され、町からは「途中で音を上げて投げ出したりしない団体」と信頼の言葉をいただき、10年の9月議会で可決され、11年10月にリニューアルオープンしました。発案者の一人だったことから私が管理者に任命されました。


生活できる水準

《リフレでは何人の障害者がどんな条件で働いているのですか》

 障害者は全部で20人。ホテル、レストラン、お風呂の部門で働く13人は、京都府の最低賃金に当たる時給759円を支払う就労継続支援A型で、月に約20日、日に4〜5時間働いてもらって、月7万円弱から10万円払います。障害者年金と合わせれば生活できる水準で、結婚に一歩近づいた人もいます。パン工房などの7人は就労継続支援B型(最低賃金を満たさない福祉的就労)なので時給250円。精神、身体、知的と障害の種類はさまざまですが、みんな職場に思い入れを持って働いてくれています。それ以外に職員も14人います。

《障害のある人に働いてもらうには工夫した点はありますか》

写真
 当初は、お客様のため一生懸命に笑顔で接する中で、しんどくなったりとか、医師に休養を勧められたりとかしましたが、自信がついたのか、1年後には簡単に調子を崩す人はいなくなりました。人によっては不規則勤務には入れないなど配慮はしています。


町を再び元気に

《経営はうまくいっているのですか》

 厳しいです。人件費とお風呂の重油料が負担になり、初年度は大きな赤字でした。来年度は赤字ゼロが見通せるようになればと思っています。リフレの再生は、地域の障害者の働く場であるとともに、活性化へ向けた町民の願いの反映であり、何としても成功させないといけないと、福祉会の重点課題に位置付け、全体の収益の中から赤字を補てんしてもらっています。

《地域の人とはどういう協力をしているのですか》

 レストランの食材は地元の農家から提供してもらっています。また自治会や農業団体、バス会社、近隣の観光施設に町も加わった「リフレかやの里運営協議会」を結成しており、昨年は周辺の各施設と、イベントの日を合わせて、秋の大感謝祭と銘打って広く宣伝したところ、多くの人に来ていただけました。

 与謝野町は文化、歴史、伝統があり、ちりめん産地として栄えた土地です。人に来てもらうことで地域を再び元気にしたいと思っています。そうなれば障害者の暮らしも自然と良くなりますから。


ふじわら・さゆり
1962年、京丹後市峰山町生まれ。
府立峰山高、奈良県の短大初等教育学科卒業後、84年、峰山共同作業所に就職。86年からみねやま作業所など、よさのうみ福祉会の施設で勤務。2011年、食と健康の拠点施設「リフレかやの里」管理者として着任した。指定管理者への歩みと同福祉会の歴史は「福祉がつなぐ地域再生の挑戦」(黒田学・同福祉会著、クリエイツかもがわ)に詳しい。