ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
この人と話そう

精神障害、早期治療と支援を
増加傾向、大きい苦しみと家族の苦労

京都精神保健福祉推進家族会連合会会長
野地 芳雄さん(2013/11/12)


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家族会が主催して行われた家庭相談員研修会(京都市右京区)
《精神障害者の福祉に目を向けられたのはいつからでしたか》

 私は京都市で生まれ育ちました。京都府庁に就職し秘書、人事、税務分野などを担当しました。在職中に先輩の榎本貴志雄先生の大いなる薫陶で、人間としての生き方に影響を受けました。榎本先生は府立洛東病院長や周山保健所長をされておられたのですが、府庁を退職後、京都市中京区円町で診療所を開設されたのです。「赤ひげ先生」と呼ばれて多くの日雇い労働者から慕われる医師でした。もともと先生は外科が専門でしたが、福祉行政の対応が遅れているとして何とかせねばと思われ、1970年に全国で初めての精神障害者の人たちの共同作業所を設立されたのです。他の障害者問題にも取り組み、行政要望を展開されました。私は府庁の仕事のかたわら、先生の活動をボランティアとして手伝い始めたのです。

《どんな事を手伝っておられたのですか》

 榎本先生は福祉関係者と協力して、京都社会福祉問題研究会を立ち上げられました。それまで独自に活動していた各種福祉関係者をまとめ、障害者の要求活動を進められました。私は役所の仕事の一方、その研究会の事務局スタッフとして活動したほか、先生が発行される京都福祉新聞の編集や校正、印刷担当などもしていました。その福祉新聞はタブロイド判2ページで今も発行しております。月1回の発行で、すでに516号までになりました。精神障害者の方や家族からのマンガや俳句、エッセーなども掲載しています。そんな活動を通して精神障害者に対する理解を一層深め、この道にさらに力を入れるようになったのです。

《定年退職後も福祉の向上を目指して活動を続けてこられた訳ですね》

 病床の榎本先生から手を握りしめて頼まれたこともあって、この活動を懸命にやってきたつもりです。現在は京都精神保健福祉推進家族会連合会の会長を務める一方、さきほど話しました京都福祉新聞の発行・編集責任者をしています。家族会連合会には府内28団体が参加し、約400人の家族の方々が厳しく困難な状況の下で活動しています。この9月には大阪で家族の全国大会が催され、約2000人が集いました。

《精神障害者に対する施策は進んで来ましたか》

 精神障害者は社会や各種制度から排除され、不当にも差別されてきました。60年代半ばのライシャワー米大使襲撃事件で精神障害者を見る目は一層厳しくなって、「隔離・監視」という方向がさらに強まったのです。当時、精神衛生法が改正され、保健所に衛生相談員が配属されました。その後、精神科病院に入院する精神障害者に対する薬漬けやベッドでの縛り付けなど人権を無視した虐待も府内で明るみになったりしました。こうしたなかでようやく80年代前半に障害者基本法が改正され、これまでの知的障害者や身体障害者だけでなく精神障害者も加わったのです。大きな転換期でした。精神障害者に対する施策の改善が徐々にみられましたが、まだまだ道遠しという気がします。また一方で、障害者福祉に関する改正法では、問題となっていた「保護者義務」は外されましたが、なお課題が残る残念な結果になりました。


両親高齢化も深刻

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《精神障害者は社会の複雑化、高度化などの影響で増える傾向にあるようですが》

 精神の病気が国民の五大疾病のひとつに挙げられるほど増加傾向をたどっています。足元を見れば、多くの課題があります。精神障害者を抱えるご両親の高齢化というのも大きい一つです。年老いた親が子を支え暮らしていても、親が病気をしたり、亡くなったりすると、孤立を招くことになります。就労支援も道なかばです。それに精神障害者が事件を起こした場合、その結果のみに注目するのではなく、何故、事件が起こったのか、本人のケアや支援がそれまでどうだったのかを、もっと深く考えてほしいのです。


京都府内で3万人

《何の手助けもないまま、各種団体にも入らず精神障害に苦しんでおられる人やご家族がかなり多いと聞きますが》

 恐らく京都府内全体では精神障害に苦しんでおられる方が3万人ぐらいはいると思われます。大半の方々が孤立して悩んでおられる実態があります。これを何とかせねばという気持ちが強いのです。当家族会が数年前に家族の方にアンケートをしたのですが、本人の異変から初診まで平均1年10カ月が経過していました。そして初診から病状の安定まで平均13年8カ月も要しています。この間の本人の苦しさ、家族の苦労は大変なものになるのです。問題解決のキーワードは、早期支援と早期治療です。その体制作りが急務だと思います。それによって重症化もかなり防げ、回復にもつながるのではないでしょうか。これからも関係者と連携して支援の輪を広げていきたいと思っています。


のじ・よしお
1933年、京都市中京区生まれ。
49年に京都府庁に勤務。秘書課、人事課などをへて、京都府立大学に転勤。94年に同大学を退職。在職中の74年に、京都府精神障害者家族会連合会理事、82年に京都市精神障害者家族会連絡協議会の事務局長就任。94年、あけぼの会共同作業所所長就任、京都社会福祉問題研究会事務局長を引き継ぐ。
2002年末、ふれあいサロン円町設立。08年春、社団法人京都精神保健福祉推進家族会連合会会長就任。現在に至る。