ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
HOPE 乳がんとの闘い

信頼できる医師に出会い
(2015/05/22)

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手術の延期が決まり今の間に旅行に行こうと夫と出雲大社へお参りする櫻井さん(島根県出雲市)


 がん告知の翌週、私はPET検査(陽電子放射断層撮影)を受けに京都市内まで行きました。

 1週間後、検査結果が出ましたが、PET検査に反応しないがん細胞で何も映らなかったと聞いて驚きました。1〜2割の人に反応しないがん細胞があると説明を受けましたが、なぜなのかわかりませんでした。転移がないかどうか安心するために受けた検査でしたので、このまま手術をしてもよいのだろうか、と不安になりました。

 セカンドオピニオンを受けるか、もう少し設備の整った病院に転院するほうがよいのではないかと思いましたが、担当医に話すのは失礼にならないかと気を使い言葉にできませんでした。

 翌朝、京都新聞に大学病院のがん新病棟がオープンする記事が掲載されていました。これはご縁があるのかもしれないと思い、夫とともに担当医と話し合いをして転院をすることにしました。

 大学病院での初診の午後。待合室は人の多さにもかかわらず静寂に包まれていました。呼び出し音が鳴って診察室に入ると「お待たせしました」と笑顔であいさつをされたのが印象的でした。

 初めに「この病院で治療をされるということですね」と確認をされて治療の説明を受けました。手術前検査・手術・放射線・抗がん剤の説明は、治療の流れと今後の見通しがイメージできました。

 外来での検査の日々、検査室に向かう長い廊下を歩きながら、今頃は仕事をしている時間なのに、なぜここにいるのだろうと社会から一人ポツンと切り離されたような孤独を感じていました。

 口腔(こうくう)外科では、術後や抗がん剤治療に備えて虫歯を2本抜歯しました。そして、心電図で異常が見つかり軽い心臓弁膜症だと分かりました。

 抗がん剤の副作用の中に心臓への負担がでる場合があり、循環器内科の先生からは「抗がん剤はしない方がいいでしょう」と言われましたが、主治医に相談をすると「五分五分で大丈夫でしょう」とのことでした。見解の違いに、戸惑ってしまいました。

 私は主治医に、「3年生存率に入れますか?」と聞きました。先生は「わかりません」と答えられ「私たちチームは、櫻井さんにとってベストな治療を考えています」と続けられました。「わかりません」という言葉は、複雑な気持ちとともに正直で信頼できる先生に出会えたという思いにもなりました。

 そして、検査が続く中で一度だけ検査技師の方の対応に悲しい思いをしました。言葉はとても丁寧でしたが、体の位置を変えるときの指先が乱暴に感じられ人としてというより物のように扱われた気がしたのです。告知前に比べて、心も体も敏感になっていました。医療従事者の方の指先から伝わる非言語が心を落ち着かせたりざわつかせたりしました。

 私はがんを切りとる前に、手術後の治療薬が私のがん細胞に効くのか試してほしいと考え始めていました。手術前治療について主治医と話し合い、手術の延期とホルモン療法で様子を見ることになりました。患者の不安なことを一蹴せず、一緒に考えてくださる姿勢はとてもありがたいことでした。

さくらい・ゆうこ
1958年、大阪府出身。2010年に乳がん告知を受け現在も闘病中。11年リレーフォーライフ(RFL)京都設立。12年アメリカ対がん協会インターナショナルヒーローズ・オブ・ホープ認定。Imaiki Cafe「わたぼうし」副代表・RFL京都・ピアサポーター活動中。亀岡市在住。