ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
HOPE 乳がんとの闘い

がんからの贈り物
愛する人の応援に応えたい (2015/07/21)

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初めて参加したつくばリレーフォーライフの開会式でハトバルーンを飛ばす櫻井さん(2011年5月13日、茨城県つくば市)


 私のがん細胞は女性ホルモンのエストロゲンの刺激によって増殖するタイプなので、ホルモン療法は告知後すでに始まっていました。副作用のしんどさで横になることも多く、大好きな読書も音楽も楽しめない状態でした。

 それでも、手術の延期により一息つけることは自分と向き合う時間ができました。心を整えたいことはいっぱいありました。死んだらどうなる? なにがつらい? なにが怖い? 家族となにができる? 残された時間をどう生きたい? パンドラの箱のように、悲しいこと怖いことを一つ一つ引き出しました。一つの自問に何日も考え込みました。少しずつ思いを掘り下げながら、心の奥底にあるものを探していました。命の大切さ、時間の大切さ、人のぬくもり、死から生を深める機会は今しかないと思いました。答えの出ない自問自答でしたが「がんに心は渡さない」そう思える強さが培われていきました。

 半年が過ぎた頃、「生きたい。笑いたい。このがんを役立てたい」と思いました。もう考えるのはやめた! 動きたい! 人は一人でも泣けるけど、一人では笑えない。だからみんなで笑いたい。悩みぬいた先に得たキャンサーギフト(がんからの贈り物)でした。

 そして、私は身の回りの整理も始めました。保育所時代から残していた子どもの作品は、とても懐かしくいとおしい物でした。丁寧に梱包(こんぽう)をして、段ボールにメッセージを書きました。私の衣類などは最低限を残して処分しました。5袋にもなったゴミ袋を見て、なんてぜいたくなことをしていたのだろうと反省をしました。

 家の中の整理も落ち着き、乳がんの勉強を始めました。文献を読んだり、乳がんの人のブログをネット検索していた年末、日本対がん協会のリレーフォーライフ(RFL)のボランティア活動を知りました。動画の中で、たくさんのがん患者さんが笑顔でウオークされている姿に涙がとまりませんでした。

 早々に、京都のRFLでボランティアをしたいので連絡先を教えてほしいと協会へメールをしました。お正月明け、当時のマネジャーから電話があり、「京都はまだ実行委員会がないので立ち上げませんか?」と言われました。私は自分の住む京都でみんなと歩きたい、笑いたい、それだけの思いでRFL京都設立に関わることになりました。

 その年の1月、ホルモン療法は8カ月が過ぎ、がんの容積は半分に大きさは2_小さくなっていました。手術後の治療薬効果を確認でき、2月14日に乳房温存手術を受けました。手術の前夜、私は右胸に今までありがとうとつぶやきました。入院中の3日間は、家族や友達がお見舞いに来てくれて元気をいただきました。

 退院後は手術痕にたまる血液を抜きに1カ月ほど通い、傷口が治った6月から放射線治療が始まりました。5週間の治療の後半は、疲れからか通いなれた病院への道中に迷子になることが続き、夫が送迎をしてくれました。家族と友人のサポートにとても助けられていました。愛する人たちの応援に応えたい、そう思いました。

さくらい・ゆうこ
1958年、大阪府出身。2010年に乳がん告知を受け現在も闘病中。11年リレーフォーライフ(RFL)京都設立。12年アメリカ対がん協会インターナショナルヒーローズ・オブ・ホープ認定。Imaiki Cafe「わたぼうし」副代表・RFL京都・ピアサポーター活動中。亀岡市在住。