ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
聞こえないからチャレンジ人生

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

壁にぶつかった中学生活
特別視・いじめ、救いはテニス

深田 麗美


 地域の御室幼稚園、宇多野小学校、双ヶ丘中学校、山城高等学校から同志社大学へ進学しました。

 幼稚園から小学校まではずっと同じ友達ばかりで、私を「聞こえないレミちゃん」ではなく、やせっぽちでおてんばで話し方がちょっとヘンな子として捉え、特別な子という認識は周りの友達にも私にもなかったと思います。ゲームが始まる時、ジャンケンをする時など私が聞こえていないと肩をたたき、自然に注意を促してくれました。日常生活の中でいつもさりげなく周りの友達が助けてくれました。おかげで、聞こえない自分を意識することがほとんどありませんでした。

中学時代、テニスクラブの夏合宿で。テニスに夢中の日々だった(1993年8月、大津市近江舞子)
 中学1年の時に初めて自分の障害について思い悩み、学校へ行けなくなりました。私は耳では言葉が聞き取れないので、読話もしくは読唇といって唇の動きを読んで相手の話していることを理解しますが、小学校とは異なり教科ごとに先生が替わり、唇の動きを読み取れなくなったこと、別の小学校区から来た人から特別な目で見られ辛かったことが原因だと考えています。

 中学入学後、壁にぶち当たった時は本当に落ち込みました。軽いいじめもありましたが、それより自分の中での障害に対する意識の整理がつかなかったことが、登校拒否につながったのでしょう。幸いにも当時、テニスを続けていたので学校以外でのつながりはあり、自分の殻には閉じこもらずに済みました。自分以外の聞こえない人とも関わる中で、徐々に聞こえない自分も受け入れ、中学2年に進んだ際、いじめていた人達と別のクラスになったこともあり、学校へ行けるようになりました。

 いじめは犯罪です。いじめている人は相手がどんなに傷ついているか感じられないので、遊び半分のいじめがエスカレートするのではないでしょうか。学校や家庭の教育の中で、最悪の場合、自殺にまで追いつめる結果となる「犯罪」だとしっかり教えることが必要です。こんなことで、何よりも大切な命を落とすことがあってはならないと思います。今いじめられている子は、とりあえずいじめに遭っていることを誰かに、例えば両親や兄弟姉妹、他校の友人等に伝えて下さい。必ず味方になってくれる人はいるはずです。怖いけど、自分から動かないと何も変わりません。

 中学時代はみんなと同じが良いこと、人と違うのはダサイことと思いがち。みんなのスカート丈が短ければ自分も短く、みんなが黒いスポーツバッグを持ったら自分も同じものをと、みんな一緒なら安心という年頃です。だから障害のある私を特別な目で見てしまったのでしょう。中学1年の担任の私への配慮が行き届きすぎたため、周りの生徒たちが私を普通でないかわいそうな人と意識してしまったのかも知れません。

 でも、人間は一人一人違うから面白いのです。みんな同じだったらつまらないでしょう。世の中にはいろいろな個性を持った人がいます。違うからこそお互いに尊敬し、理解し合う必要があるのです。私は特別扱いではなく、1人の人間として自然に接してほしかったのです。そのためには、聞こえる人に合わせるのではなく、聞こえない自分を受け入れ、自分を主張していくべきだと感じました。


ふかだ・れみ 1980年生まれ、京都市出身。生後すぐ髄膜炎にかかり、その後聴覚を失う。静岡県の「母と子の教室」に通い発音や発声、口話を学ぶ。京都府立山城高から同志社大経済学部に進み、在学中の2003年にボランティア団体「京都リップル」を立ち上げた。現在、同大学経理課勤務のかたわら、京都リップル代表として映画のバリアフリー上映に参画。障害当事者として講演活動も行っている。