京都リップル立ち上げ当時は、各大学のサポート態勢が整っておらず、多くの障害のある学生が困っていました。どの大学でも一般学生と同様に授業を受けられるようにという思いで、障害のある学生とサポートする学生が共に活動しました。車いすで介助犬アトムと共に通学していた舘林千賀子さんも一緒でした。
各大学の講義保障(障害のある学生に対し、一般学生と同じように授業を受けられるための支援を保障すること)を知り情報提供をするための懇談会を持ち、さまざまな学生のネットワークづくりにまい進しました。
大学の協力が得られず、自分でノートテイクしてくれる人を探しているという聴覚障害のある学生の話を聞き、懇談会に来た他大学の学生がサポートを申し出てくれたこともありました。
大学間で学生の派遣を相互に行うようになったり、サポートのための勉強会を開催したりと、京都リップルを中心に活動の幅が徐々に広がっていきました。それが、現在のさまざまな大学での支援活動につながっていったのではないかと思っています。
卒業後、京都リップルで活動し、かつ大学で「障がい学生支援コーディネーター」として働く中で、支援担当者が大学にいることの重要性にも気づかされました。
例えば聴覚障害のある学生が授業でノートテイクをつけてほしいと相談すると、担当職員がサポートしてくれる学生を探し、派遣する。双方の学生の間で、互いに不満や要求がある場合、担当職員を通じてうまく調整し解決してもらえる…。
京都リップル発足当時は専門の職員を置いている大学は少なく、障害のある学生自身がコーディネートをすることに追われ、肝心の勉強はできず、結局ストレスから体を壊して、大学を辞めざるを得ないケースもありました。
今では多くの大学でサポート態勢が整えられ、コーディネートをしている職員もいらっしゃるとのことでうれしく思います。
何でもそうですが、まずは自分から動く、そうしないと結局は何も変わらないまま。思いついたら即行動。これが京都リップルで活動していく中で、私が学んだことです。
一方、小・中・高校などで、聴覚・視覚障害、肢体不自由などさまざまな障害のある人による講演も行い、今も継続しています。
障害があるとはどういうことか知っていただき理解を深めるために、当事者が話をしています。生の声は聞く機会が少ないからかインパクトがあるようです。
小さい時に障がい者の話を聞き、偏見を持たないことはとても大事なことだと感じます。感想文には素直に「障害のある人も普通の人だと思った」「町で困っている人を見たら声をかけようと思う」などと書かれています。
妙な固定観念を持つ前に、触れ合う機会をもっと増やせないものでしょうか。障害があってもなくても、みんな同じ人間という意識を持ってほしいと思います。
ふかだ・れみ 1980年生まれ、京都市出身。生後すぐ髄膜炎にかかり、その後聴覚を失う。静岡県の「母と子の教室」に通い発音や発声、口話を学ぶ。京都府立山城高から同志社大経済学部に進み、在学中の2003年にボランティア団体「京都リップル」を立ち上げた。現在、同大学経理課勤務のかたわら、京都リップル代表として映画のバリアフリー上映に参画。障害当事者として講演活動も行っている。