ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
夢はかなう〜水泳と私

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

@緊急入院

高2の練習中に異変

北村 友里さん



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日本泳法大会に出場し、支重競技で日本3位に入賞し表彰を受ける北村友里さん(1993年8月、静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンタープール)=本人提供
 私は、3歳の時に、姉が行っていた影響もあり京都踏水会(京都市左京区)で水泳を始めました。小学4年からは週3回、中学2年からは週6回通い、競泳以外にも「日本泳法」の練習もしていました。日本泳法大会には3回出場し、中学2年の時に立ち泳ぎで重りを支える時間を競う「支重競技」で3位に入賞しました。中学と高校は水泳部に所属し、中学3年の時にリレーで近畿大会に出場しました。高校1年時に出場した府下大会では、個人は決勝で9位だったため近畿大会への出場は逃しましたが、メドレーリレーでは、バタフライで自由形の姉と一緒に近畿大会に出場することができました。また、夏休みには京都踏水会の夏期講習の指導員として子どもの水泳指導をしていました。

 高校2年の6月のことでした。練習中に首がだるかったので、肩をみてもらっていたスポーツ整形外科に行き、コンピューター断層撮影(CT)検査を受けたところ、水頭症の可能性があるので専門の病院で検査を受けた方が良いと脳専門の病院に紹介状を書いてもらいました。

 後日、その病院で磁気共鳴画像装置(MRI)検査を受けると、精密検査が必要だと言われ、3日後に血管造影検査をしました。首がだるかっただけでその他の自覚症状がなかったので、私は検査が終わって次の日には家に帰れるものだと思っていました。何も分からないままの緊急入院でした。私には知らされていませんでしたが、検査後に、親は主治医から手術をしても成功率は50%、成功しても車いす生活になるかもしれないと言われたようです。告知された病名は、小脳の膠芽腫=こうがしゅ=(グリオーマ)で5年生存率8%と言われている病気だそうです。

 入院して1週間後に手術が決まり、剃毛する事を知って、長かった髪を一度にそるのが嫌でした。3歳の時に頭部におできができ、治療のために丸坊主にさせられたことがトラウマ(心的外傷)になっていたからでした。手術前日に母に髪を短く切ってもらいました。

 手術後、集中治療室で目を覚ましました。頭に管が付いていたこと、看護師に同じ名字の方が2人いたこと、「100から7を引いたら? そこから7を引いたら? それからまた7を引いたら?」と何度も聞かれたことを今も鮮明に覚えています。一般病棟に移ってからは、夢に亡くなった祖父が出てきて私の頭をたたき、起きた後にはそのことをよくしゃべっていたと母は言います。

 術後1週間後に抜糸をし、再発・転移防止を目的に土日祝日を除いた毎日、午前10時に入院していた病院から近くの病院へ放射線治療(コバルト)を3カ月半、退院する3日前まで受けに行っていました。

 水泳のことは気になっていましたが、ここから私の闘病生活が始まったのです。

きたむら・ゆり
1978年京都市生まれ。3歳で水泳を始め16歳で膠芽腫を発症。19歳の時に治療の後遺症で脊髄損傷となり、障害者として水泳を再開。アテネパラリンピック6位・北京パラ7位。現在も大会に出場し、近畿身体障がい者水泳連盟の理事として大会運営に携わる。