ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
夢はかなう〜水泳と私

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

C 世界へはばたく

パラ入賞 コーチと挑戦


北村 友里さん



写真
障害者水泳の楽しさと厳しさを教えてくれたコーチ升田哲雄さん(左)と北村友里さん=2004年8月、本人提供
 車いす生活を始めて1年がたった1999年に運転免許を取得し、一人で京都市障害者スポーツセンター(京都市左京区)に車で行けるようになりました。私の泳ぎを見ていたセンターの職員さんから水泳クラブに入って大会に出ないかと勧められ、もう一度レースに出たいと、京都障害者水泳クラブに入り競技のための練習を始めました。

 2001年6月に神戸市での近畿大会に、その年の8月にはジャパンパラリンピックに出場しました。でも、100メートル平泳ぎのタイムは2分35秒60。高校時代よりも1分以上も遅いタイムでした。

 それでも、02年には日本身体障がい者水泳連盟の国際強化指定選手になり、12月にはアルゼンチンでの世界選手権に出場することになりました。

 この頃の世界選手権の出場条件は、強化選手で50万円が払えること。障害者スポーツは「リハビリ」扱いのため、助成金はほぼ出ない状態でした。

 私にとっては初めての海外で、経由地の米ニューヨークは大雪で搭乗口が開かず4時間機内に缶詰め状態となり、日本からホテルまでバスも含めて36時間を要する大変な旅でした。大会は全て英語ですが、ホテルに戻ればスペイン語。ジェスチャーを交えながら同行の友達と協力し、2週間を乗り切ることができました。

 初めての世界選手権(100メートル平泳ぎ)は6位入賞。しかし、タイムは2分16秒40。高校時代のタイムに及びませんでした。少しでも近づきたいと、2年後のアテネパラリンピックでの入賞を目標にすることにしました。

 帰国後、自分一人では、タイムを上げるための厳しい練習は難しいと思いました。トレーニング全般をサポートしてくれるコーチの必要性を感じて、家から車で通えるスイミングスクールを探すことにしました。

 何件か問い合わせましたが、障害者を受け入れられる施設や態勢が整っていないという理由で、ほとんどに断られました。唯一、自宅から車で約15分の右京区にあるショッピングセンター内のスイミングスクールから「受け入れることができそうだ」との回答を得ました。当時の支配人で競泳コーチでもある升田哲雄さん(現京都水泳協会常任理事)が事前に会員やスタッフに説明し、導線や介助など安全に練習が進められるかを検討した上で、引き受けてくださったようです。

 このスイミングスクールは、バリアフリーではない所も一部ありましたが、いろいろな方の介助のおかげで練習が可能になりました。  そしていよいよ、03年3月から升田コーチの指導を受けることになりました。まずは泳ぎの基本となる手のひらで水をとらえる動作{スカーリング」でしたが、以前やっていたので体が覚えていました。升田コーチは「思っていたより泳げる」と感じてくださったそうです。幼い頃から京都踏水会(左京区)に通い、日本泳法を教わったおかげだと思っています。

 「日本の頂点ではなく、世界で活躍できる選手になりたい」。私の目標を升田コーチに伝えました。04年のアテネパラリンピック入賞を目指す約1年半の厳しい練習がスタートしました。



 原則毎月第3月曜に掲載します。

きたむら・ゆり
1978年京都市生まれ。3歳で水泳を始め16歳で膠芽腫を発症。19歳の時に治療の後遺症で脊髄損傷となり、障害者として水泳を再開。アテネパラリンピック6位・北京パラ7位。現在も大会に出場し、近畿身体障がい者水泳連盟の理事として大会運営に携わる。