ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
結縁 ひきこもりから社会へ(1)
  • 若者たちの居場所
  • 仲間と成長、実感の17年

     

    福島 美枝子さん



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    掃除をすることで体を動かし、精神力を身につける若者たち(大津市、安養寺の本堂)
     私がひきこもり支援を始めるきっかけとなったのは、以前勤めていた中学校で受け持っていた一人の女子生徒からの「先生、今日は学校を休んでしまった」という電話からだった。何か悩んでいる彼女に何か出来ることはないかという気持ちから1999年秋、大津市の浄土真宗の安養寺で不登校の子どものためのフリースクールを開校した。また、2004年に京都市北区に自立支援施設「恒河沙(ごうがしゃ)」を開設した。

     生きていく以上、山あり谷あり、人は誰もが、あたふたしながら毎日を暮らす。たとえ、ひきこもったとしても、それが肥やしとなって成長していく子どもたち。無口であり無欲でもあるが、そこに美しさを感じる子どもたち。そばにいて支える大人たち。ご縁で結ばれた人と人。仕事を通して社会性やチームワーク、自立性などを習得する場。恒河沙、安養寺フリースクールはそんな場所だ。

     恒河沙を支えるメンバーはさまざまだ。キャリアーバックを引きずりながら、東京からやってくる赤澤信次郎さん。赤澤さんは新聞記者だ。恒河沙の若者にフリーペーパー作りの講師としてお願いしている方だ。恒河沙ができて以来のお付き合いだ。自転車でやってきた塚崎直樹さんは精神科医だ。大阪からやってきた佐々木奘堂(じょうどう)さんは禅宗の僧侶。

     「こんにちは」。恒河沙の若者たちは、いつものように3人の方にそれぞれにあいさつをする。さまざまな大人が出入りする居場所でもある恒河沙に若者が集う。そうこうして17年がたった。17年で変わったこと。恒河沙ができた当時は、朝から晩までトランプをみんなでやっていた。

     ところが、最近の恒河沙は働きモードだ。現在、恒河沙には約40人の若者が登録し、1日に15〜20人が利用している。「最近、血圧が上がった。運動不足だと言われた」。そう話す公平君に秀雄君が窓ふきの仕事をしたらどうか、と提案した。公平君はそれ以来、窓ふきの仕事をすることとなった。恒河沙に通いだして10年、スポーツが得意な公平君がみんなと働き出したのは2年前からだ。

     しかし、公平君はみんなでする恒河沙の掃除時間、安養寺のお掃除には必ず参加していた。昼夜逆転の博和君が、最近、毎日きちんと起きて恒河沙にやってくる。やっと、博和君は「早起きしよう」と、自分で決めた。そのきっかけは、「行きたい学校に合格したい」と思ったからだ。博和君も窓ふきのアルバイトをすることに決め、先輩に窓ふきの仕方を教わっている。「アルバイトが決まりました」。明るい声で報告があった。博和君に窓ふきを教えた先輩の優二君からだ。恒河沙の若者にも、一人ひとりの春が来る。

     ある日、母親が何人かで集まった。「もう、しんどくて、動けないよね」。60代の母親たちは笑いながら話す。17年来のお付き合いだ。泣いたり、笑ったりのお付き合い。「生きるとはなんなのか」。真っ向から、突き付けられた仲間だ。「答えはない」「自分で責任を持って考えることだ」「ありのままに生きる」と言うのは簡単だか、現実を受け入れることの難しさを実感した仲間だ。恒河沙の若者も、仲間と過ごす時間、仲間とともに働く時間、自分の力で得るお給料が楽しい時間となる。

     ある哲学者が言った。「福島さん、一人一人の考え方を教えてもらうことですよ」

    (ひきこもりの人たちの名前はいずれも仮名です)

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    1952年長崎県生まれ。99年まで大津市の中学校に勤務。同年に退職後、京都、滋賀において青少年の自立支援のための活動を行う。現在、NPO法人恒河沙などの理事長。著書「本音を聞く力」(角川書店)。精神保健福祉士。安養寺坊守。