京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●結縁 ひきこもりから社会へ(2)
自ら動こうとした時こそ福島 美枝子さん
恒河沙(ごうがしゃ)とは10年以上のお付き合いがある1級建築士設計事務所と建築会社のお世話で、掃除の仕事がきた。「チーム恒河沙」としてリフォーム後の町家の仕上げ掃除を請け負う。指導していただくのは、1級建築士の西田公保さんと建築会社社長の木津裕人さんだ。
みんなに話しをした。「4月25日の月曜日、町家の掃除に参加したい人、いる? バイト料は結構いいよ」 当日午前9時に京都駅近くの集合場所に集まったメンバーは10人。みな、生き生きとした顔をしている。こうしたチームでの仕事ももうすっかり慣れっこになってきた。早速、町家の間取り図をいただき、掃除の分担を決める。リーダーは、和人君(32)。今回が初参加の新高卒のメンバーは、仕事の手順についての和人君や先輩たちの説明を真剣な表情で聞いている。 和人君は恒河沙に通いだして3年になる。いまではすっかり自立していると言っていいだろう。では、3年前の和人君は何を考え、それがどのように変化していったのだろう。それを恒河沙顧問の精神科医・塚崎直樹さんに尋ねてもらった。 塚崎さん どうして家にこもることになったのかな? 和人君 それが自分でも分からないんです。何かのきっかけで仕事が苦痛でたまらなくなり、気が付いたら、仕事に行けないまま2年以上たっていた。母からは繰り返し「病院か相談所に行きなさい」と強く言われ、何カ所目かに恒河沙に来たとき、代表の福島さんから「明日からうちに来なさい」と言われて、思わず「ハイ」と答えてしまったんです。 塚崎さん ここでは、なぜ続いたんだろう。これまでの仕事とどう違った? 和人君 これまでの職場では、ただ言われる通り、指示されるままに従うだけで自分からは動こうとしなかった。それで、面白いと思ったことがなかったんです。ところが、恒河沙では年長者でもあり、農作業などでも自分が指示する立場になった。福島さんに連れられて、ひきこもりの人の家を訪問したり、スタッフの手伝いをしたりする場面も増えた。 塚崎さん 今後のことはどう思ってるのかな? 和人君 恒河沙に来た時は、20代ぎりぎりの29歳。今年のうちに何とかしないと、という気持ちがありました。めいが生まれて、抱っこしたとき、「この子が大きくなっても自分はひきこもっているのか、こりゃ、まずいぞ」と強く思いました。 塚崎さん 今ひきこもっている人に言いたいことは? 和人君 何でもいいから最初のきっかけをつかまえて、とにかく外へ出た方がいいよということですね。はじめはつらいけど、きっと何かが始まります。 ひきこもる若者たちは悩み苦しんでいる。ひきこもる理由はさまざまだ。その本人が自ら動こうとした時にその行動を見逃してはならない。 ある哲学者が言った。「福島さん、子どもが動こうとした時は即座に一緒に動くことだよ」と。 (利用者の名前は仮名です)
1952年長崎県生まれ。99年まで大津市の中学校に勤務。同年に退職後、京都、滋賀において青少年の自立支援のための活動を行う。現在、NPO法人恒河沙などの理事長。著書「本音を聞く力」(角川書店)。精神保健福祉士。安養寺坊守。
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