ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
結縁 ひきこもりから社会へ(6)
  • 生きるための安心感
  • 「周りの人の力が大きい」

     

    福島 美枝子さん



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    NPO法人の設立当初から関わっている支援者らと懇談する若者たち(京都市北区紫野下鳥田のギャラリー恒河沙)
     ひきこもり生活から再び外の世界に出る。その時の若者たちの気持ちはどうなのだろうか。

     仁君は「恒河沙(ごうがしゃ)」相談員の臨床心理士・四方美佳子さんの訪問をきっかけに、家から出てみようと決心した。

     「畑仕事が体力づくりになります」と言いながら自転車で畑に通うようになった仁君。「畑では、自分の考えに気を取られる暇がないほど作業に追われる。みんなと一緒に遊ぶときも、あっという間に時間がたっている」。そんな彼を四方さんがそばで黙って見守っている。

     中学生のころから一歩も外へ出なくなった聡君も、四方さんの家庭訪問が誘い水になった。と言っても、およそ2年間かかった。

     恒河沙で四方さんと会って言葉をかわすときの聡君は、いつもうれしそうだ。

     「恒河沙で今日は楽しかったなあ」。そんな気持ちで夜を迎えたら、また明日への希望が生まれる。「あまり頑張らなくていいんです。毎日が楽しければ」。聡君のお母さんの言葉だ。

     ひきこもり生活から抜け出して10年がたった洋一君は、友達ともひきこもる前のおつきあいができるようになった。  とは言え、問題がすっかり解決したわけではない。数年前からアルバイトの仕事をしているが、頑張り過ぎて、疲れ切って辞める、次の仕事もまた同じことの繰り返し。自立への道は厳しい。

     ある日、四方さんが洋一君と話していた。

     四方さん 何が学校へ行くのを難しくさせたの?

     洋一君 中学生になったとき、友達関係を広げたいという思いが強過ぎて一人で空回りし、周囲から浮いてしまった。恥ずかしく、傷つき、自分だけの世界にこもった。高校進学後、スクールカウンセラーから勧められてここへ来た。同じようにひきこもりを経験した人たちのさりげない思いやりがうれしく、居場所ができたと感じた。全日制高校には「来たくなかったら、来んでもええぞ」という教師の一言で幻滅してしまったけど、ここに来てから定時制に進む意欲も出て来て、頑張って卒業した。

     四方さん 気持ちが前向きになれたのはどうしてかな?

     洋一君 やはり周りの人の力が大きい。一人だと絶対無理と思ったことも、友達からエネルギーをもらってできたことが多い。親は、話を聞いてくれたのがありがたかった。私の性格は、嫌だと思ったら動けなくなる、自分でいいと思ったことには責任を持ってやる。嫌なことを嫌だと言えればいいのだけど、それができないから苦しい。

     四方さん これからのことは?

     洋一君 自分なりの幸せの形を見つけたいと思っている。要求された通りにはなかなかうまくできなくても、他の人のために力になれるというのが自分の幸せかなと思っているので、いま恒河沙でごく自然にできているお手伝いを一つのきっかけにしたい。

     恒河沙は設立当初から永年の知人である精神科医の塚崎直樹さん、市会議員の鈴木正穂さんに見守っていただいている。

     また、京都府人権啓発センターの浅野浩司さんを中心に何年か前から京都ヒューマンフェスタに企画から参加させていただいている。

     さまざまな方と接しながら、一歩一歩、若者たちは将来に向かって歩き始めている。(利用者の名前は仮名です)

    (福島さんの連載は今回で終わりです。2017年1月から第3月曜に声楽家の青野浩美さんの「前例がなければ作ればいい 気管切開をした歌姫」をお届けします。

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    1952年長崎県生まれ。99年まで大津市の中学校に勤務。同年に退職後、京都、滋賀において青少年の自立支援のための活動を行う。現在、NPO法人恒河沙などの理事長。著書「本音を聞く力」(角川書店)。精神保健福祉士。安養寺坊守。