ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
来た道 行く道

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。


生活の場確保に全力

NPO法人てくてく理事長
冨島 邦雄さん


サイクリング大会で参加者が集う(前列左から3人目が冨島さん)
 私は給食会社に勤める普通のサラリーマンでした。二女が幼い時に重い病気にかかり重度の心身障害児となったことで、福祉の分野に強い関心を持ち、また福祉向上に向けた運動も始め、私の人生も考え方も大きく変わったように思います。

 妻は一生懸命になって障害児の親が集える場づくりの活動を続けてくれ、当初は私が、会社勤めをしながら妻の活動をサポートするというかたちでした。重度心身障害児の親が集って交流する「どんぐりの会」を設立しましたが、これがすべての活動の原点と言えるでしょう。娘の成長に合わせて一歩一歩進んできたのです。残念なことに二女は21歳で短い人生を閉じました。振り返れば、妻と二人三脚で歩んできたように思います。

 どんぐりの会は養護学校(現在の支援学校)卒業後の生活の場をつくろうと活動を始めました。二女の死を乗り越えて活動を続け、行政の力も得て長岡京市内に重度心身障害児の通所援護施設「どんぐりの家」ができたのです。大きな発展でした。待望の施設で通所希望者が多く次第に手狭となりました。1990年代後半に向日市に社会福祉法人をつくろうとうれしい話があったのです。その時、この事業に打ち込みたいと考え、私は会社を54歳で辞めました。

 ところが、施設の建設は大変な困難が伴いました。地域の方からの反対もありました。苦しみました。その時に重度障害者と一緒に福祉先進地のデンマークに視察に行ったのです。そこには、常に現場の声が生かされる仕組みがあり、地域に溶け込んで共生している姿があり、得るものは多かったと思います。

 帰国後も地道な活動を展開し、ようやく理解と賛同を得て2000年秋に開所できました。熱く思い続けたことは必ず実現する。そう思いました。

 私は運営が軌道に乗った一年後に統括施設長をやめて、重度の障害者が親亡きあとも生活できる場を作ろうと、02年にNPO法人「てくてく」を立ち上げました。グループホーム、ガイドヘルプ、ホームヘルプなどの事業を行っています。昨年4月には新しい拠点としてショートステイの事業ができる建物を構えることができました。

 「てくてく」はバーベキューやサイクリングなどのイベントやクラブ活動をやっています。和気あいあいとやる。これがいいんです。みんな分け隔てなく地域とともに平常心で楽しくやっていくことが大切です。もちろん、当事者本位であることを片時も忘れてはいけません。それに今、次代を継ぐ若い人がどんどん育っています。私は時折アドバイスをする程度でいいと思っています。



とみしま くにお
1941年生まれ。64年京都府立大学卒業。
食品サービス会社に31年間勤務。取締役研究開発部長を経て54歳で退職。福祉の分野に進み「どんぐりの家」運営委員長、「友愛之郷」所長、社会福祉法人『乙訓ひまわり園』統括施設長をへて現在、NPO法人「てくてく」理事長。72歳。