私はもともと体を動かすことが好きで、学生時代は長距離の陸上選手をしていました。障害者スポーツとの出会いは1965年、まだ高校の教諭をしていた時のことです。
京都府庁の友人から府身障者福祉センターで障害者に「体育の指導をしてくれないか」と依頼されたのです。引き受けはしましたが、当時はまだ右も左も分からず、とりあえず今、障害者の方はどんなスポーツをされているのか知りたいと言いました。
それで目の不自由な方が野球を熱心にされているところを見学して震えるほどの感動を覚えました。人間の秘めたる可能性の大きさを思いました。障害者スポーツの振興に取り組み始めたのはそこからです。
その後、府立体育館の完成とともに「心身障害者スポーツの集い」を月一回開催したり、巡回スポーツ教室や指導者研修会の講師をしたりしてきました。高校、後に大学で保健体育を教えながらのことです。「心身障害者スポーツの集い」はその後もずっと続いており、来年に五百回目を迎えます。私の誇りのひとつです。
また京都障害者スポーツ振興会を立ち上げて障害者スポーツの育成に本格的に取り組める体制づくりをしたり、京都における身障者国体にも準備段階から全力で当たりました。全国車いす駅伝大会もそうした流れのなかで誕生したのです。京都市の障害者スポーツセンターの建設に際しても欧州調査に行ったりして全面的に協力し、先進的な施設整備をしていただいたと思っています。
日頃よく思うのは、もっと障害者スポーツの裾野を広げたいということです。もちろん、競技スポーツは必要ですし強化していかねばと思いますが、重度の障害児・者や高齢となられた障害者が気軽にスポーツできる環境づくりも非常に大事です。私は前者を「障害者スポーツの高度化推進」、後者を「スポーツの輪を広げる」として両面で支えねばならないと考えています。
障害者スポーツの指導者や支援者の方から講演を頼まれた時に私はよく言います。障害児・者の親御さんがどんな気持ちでおられるか、それを推し量る心が大切です。そっと寄り添ってともに生きるという観点からさりげなく自分のできることを行うことが必要です。障害者やその家族の皆さんを孤立させてはいけないということです。
障害者スポーツに巡り合い、その振興とともにもう50年がたちました。もうすぐ90歳になりますが、元気である限り第一線で頑張っていきたいと思っています。
しばた とくぞう
1926年京都市生まれ。53年立命館大法学部卒。
府教委勤務後、59年府立洛北高校教諭。68年立命館大専任講師(保健体育)。73年産業社会学部教授、同学部長をへて名誉教授。この間、京都障害者スポーツ振興会会長、全国障害児体育研究連絡協議会会長、日本身体障害者陸上競技連盟会長などを歴任・在任。88歳。