ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

誰もが笑顔であるように

社会福祉法人みねやま福祉会理事長
櫛田 匠さん




職員と語り合う櫛田理事長(前列中央、京丹後市峰山町)
 父は医者でしたが、同時に乳児院を母とともに運営していました。乳児院では1日2回、おやつが出るんです。家では出ません。事情が理解できないうちはうらやましくて、おやつほしさによく出入りしてました。

 私はこの施設の子どもたちとともに育った訳です。地元の高校を卒業して各地を放浪してから大学に入り、福祉を学びました。やはり福祉にかける父母の後ろ姿を見て育ったことや、私自身、恵まれない子どもたちのために頑張りたいという気持ちが強かったからです。

 大学卒業と同時に故郷に戻り児童指導員として峰山乳児院に入りました。給料の安さはショックでしたが、夢中で働きました。子どもたちから笑顔を取ってはいけないという思いが強かったですね。いかに笑って過ごしてくれるかを心がけました。

 ある意味で乳児院は社会の底辺の縮図です。育児放棄などいろいろな背景から乳児院に子どもは来ます。この子たちのために大人としての責任を果たそうと必死でした。分かってくれない父親と殴り合いのけんかをしたこともあります。毎日、何かがありました。

 施設長をへて2004年から社会福祉法人の理事長に就任しました。責任の大きさを痛感したものです。保育士や職員には、上手でなくてもいいからしっかりと子どもと向き合ってほしいとよく言います。スペシャリストであり、ゼネラリストでもあれとも言います。いかにして楽しい生活を形づくっていくか、子どもたちの毎日が平和で笑顔であるよう、そんなふうに暮らせるようにと願います。

 平成に入ってから行政の要請などもあって特別養護老人ホームや障害者施設も建設して取り組んでいます。心休まる施設であることを第一にしています。現在、児童福祉では乳児院や保育所など8施設、高齢者福祉では6施設、障害者福祉では1施設を運営して職員は約400人います。

 いつも思うのは、この地域に必要な福祉機能を担いたいということです。それがともに生きるという共生の地域づくりにつながります。地域の老若男女、障害のある人もない人もみんなつながり笑顔で暮らせる地域づくりの一翼を担いたいと強く思うのです。

 また利用者目線で施設を運営していくのはもちろんですが、福祉以外の分野でも地域貢献したいと考えています。地域の活性化を福祉分野の人間として頑張りたいと思うのです。地域が元気になることが地域福祉に好影響を与えると信じています。


くしだ たくみ
1951年峰山町生まれ。79年に同志社大文学部社会学科(社会福祉学専攻)卒業。峰山乳児院付設幼児寮児童指導員、施設長などをへて94年に総合老人福祉施設・はごろも苑施設長。2004年、みねやま福祉会理事長。京都府社会福祉施設協議会会長、府社会福祉法人経営者協議会会長、63歳。