ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
来た道 行く道

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

心の傷癒やし、自立助ける

社会福祉法人「舞鶴学園」
理事長兼施設長 桑原 教修さん




職員と談笑する桑原理事長(中央)=舞鶴市の舞鶴学園
 中学時代に教会の牧師さんに影響を受けました。この牧師さんが出た京都の大学に行きたいと思い、無事合格して京都市内に下宿したのです。これが京都とかかわる縁でした。

 大学1年の時、全国の炭鉱が閉山に追い込まれ地域が崩れて行く状況がありました。九州の筑豊に赴いてそこで貧しい子どもたちの現状をつぶさに見て衝撃を受け、こうした貧しい子どもたちを何とかしたいという気持ちが強くなりました。そんな時に舞鶴の児童養護施設にボランティアとして行かないかという話があって、早速に申し込んだのです。これが今、私が施設長をしているこの舞鶴学園でした。

 これをきっかけに「養護施設研究グループ『まいづる』」を自分自身で立ち上げ、仲間を募って大学の4年間、夏休みと冬休みはほとんどこの学園のボランティアとして活動し、子どもたちもなついてくれました。大学卒業が近づいた時には寄る辺ない子どもたちを支援していきたいという気持ちが固まり、念願通り児童養護施設に就職することができました。

 印象深いのは1980年代でした。サラ金、家庭内暴力、虐待、薬物依存、いろいろな問題が噴き出した大変な時代です。家庭崩壊も多くなりました。ある朝、親が蒸発してしまい子どもは行き場を失ってしまうのです。困難なこともありましたが、子どもたちを勇気づけ、生きる力を持ってもらうことに必死でした。

 子どもたちが大人になって自立していく段階までにいろいろな経験を積ませたいと思えば、12人以下ぐらいの児童が生活する小舎制(しょうしゃせい)がいいのは分かっていました。それを何とか実現しようと活動を続け、2001年、この学園の移転を機に小舎制を取り入れることができたのです。

 以前と比べて子どもたちの心の傷が深くなる傾向にあります。一括した管理保護方式から個別対応を軸とした養育に転換すべきなのです。小舎制はその流れに沿ったものでした。

 47年間、児童養護施設とかかわってきました。今、この施設にやってくる子どもたちは8割以上が虐待された体験を持っています。一番頼るべき人から愛情を注いでもらえないどころか暴力を受けるのですから心の傷は深いのです。こうした子どもたちに居心地よさを知ってもらうこと、人とのつながりが楽しく思えることなどを感じてもらえるようにしたいのです。自立できる子どもたち、強い心を持った子どもたちを育てようと、愛情をもって取り組んでくれる職員をバックアップしたいと思います。70歳になりましたが、これからも子どもたちの心に寄り添う養護を続けていきたいと思います。


くわはら・のりひさ
1945年生まれ。鹿児島県で育ち67年同志社大神学部卒業。68年舞鶴学園に就職。89年同学園園長に就任。2001年隣接して保育所タンポポハウスを竣工。13年社会福祉法人「舞鶴学園」理事長に就任。韓国の養護施設とも交流を図る。京都府児童福祉施設連絡協議会会長。