ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

車いす利用者の就業に力

NPO法人・滋賀県脊髄損傷者協会相談役 
岡本 幸助さん




職員らと語る岡本幸助さん(右から3人目、草津市のアイ・コラボレーションで)
 信楽町で生まれ育ち、自動車関係のエンジニアとして普通の生活を送っていました。それが暗転したのは1978年の5月のことでした。いつも通りに出勤のため自宅を車で出て、甲賀市の国道1号の交差点で最後尾で信号待ちしていた時に大型車に猛スピードで追突されたのです。居眠り運転でした。

 意識不明の重体で3カ月間眠り続けました。脊椎を損傷し四肢が動かせなくなって絶望しました。悲観して死にたいと思っても自分で死ぬことさえ出来なかったのです。半年後にリハビリテーション・センターを備えた公立病院に転院し、そこで約1年半、一生懸命にリハビリをして腕は動かせるようになり、生きる希望が徐々に出てきて退院したのです。県内の福祉施設に就職しました。

 一方で県脊髄損傷者協会に入会し活動を開始しました。手動で動かせる車にも乗れるようになり、立ち寄った先でさまざまなバリア(障壁)に出くわしました。一番困ったのはトイレでした。当時は公立施設でも車いすで利用できるトイレはほとんどなかったのです。そこで協会の仲間とともに当時の県内50市町村の役所に出向いて車いすが利用できるトイレの設置を要望する文書を出しました。そういうことから始めたのです。

 私の転機となったのは2000年にWEBやDTP制作などを行う共同作業所アイ・コラボレーションを設立したことです。これは車いす利用者の就業を何とか促進したいという一念からでした。考えた末にたどり着いたのはパソコン技術の習得による仕事の確保でした。協会の仲間らとともに勉強会を開きホームページの作成や維持管理、刊行物のパソコン編集などが出来るようになり行政や民間企業から仕事の発注が増えてきたのです。今では草津市、甲賀市、彦根市、高島市、神戸市の五つの市に拠点があり、県内4拠点では総勢57人がパソコンで腕をふるっています。

 例えば県内の車いすで利用できるトイレ施設の一覧を内部の写真付きで編集した「みんな安心 おでかけ トイレマップ」の刊行や民間企業などのホームページ制作と維持管理など多岐にわたります。みんな頑張ってくれています。

 今、私は同協会の理事長を退任して相談役になっていますが、協会では車いすで県内を観光しようという「ばりかん滋賀」活動、車いすでのバスケットボール活動などを多彩に展開しています。現在の会員は約80人で、要望活動や役立つ情報の発信にも力を入れています。私はそこそこに年を取りましたが、これからもみんなのために一生懸命やっていきたいと思っています。


おかもと・こうすけ
1951年甲賀市生まれ。71年滋賀県職業訓練校卒業。自動車関係会社のエンジニアとして勤務。78年に交通事故で脊椎損傷。89年滋賀県脊髄損傷者協会会長(2004年にNPO法人化し理事長)に就任。2000年にアイ・コラボレーション(草津市)設立。代表に就任。09年同協会理事長退任、相談役に就任。甲賀市在住。