ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

会員拡大、要望実現に尽力

京都府難聴者協会副会長 山口武彦さん




ボランティアと談笑する山口さん(長岡京市役所分庁舎3)
 戦時中は小学生でしたから、最初は徳島県、そのあと広島県に疎開しました。広島では原爆投下の瞬間を10数キロ離れたところから目撃するという忘れられない思い出もあります。終戦後京都に戻り大学を卒業してJA全農の大阪事務所に就職しました。

 その当時、耳は普通に聞こえていました。ところが学生時代に体を壊した際に投与された薬剤の後遺症で次第に耳が聞こえなくなり、3年後ぐらいに聴力を失ってしまったのです。悲しかったですね。職場でも大変でした。会議に出ても聞こえないのですから。コメや肥料などの売買を担当していましたが、無理になって債権管理などの仕事に移りましたが、悩みましたね。これでいいのかと。

 その当時、難聴者は障害者と認められていないような状況でした。こうした障害で苦しんでいる人がいることを世間に知ってもらおうと運動を始めた訳です。福祉関係の法改正を訴える一方、行政に実情を知らせたり要望活動を展開したりしました。そして難聴者の横の連携も次第にできて先輩方のご努力で1979年に京都府難聴者協会を立ち上げることができたのです。 

 電話できればすぐに済むことも手紙やはがきのやりとりになりますから時間はかかりましたけど、500人の会員が集まりました。要望活動を始め全国大会に出かけたり、私自身は国際大会によく出かけました。スイスやノルウェー、カナダ、オーストラリアなどに行って海外の難聴者の現状や運動状況をつぶさに知り、それを生かそうと府内での運動に力を入れました。この間、長らく協会の会長や事務局長をしました。 

 問題のひとつは会員の減少です。今は150人ぐらいになっています。高齢化や若い方の個人主義的な傾向があってこうなっていますが、もっと会員を拡大したいですね。それに要約筆記者の充実など行政への要望活動も活発化したいと思います。

 今、ハイテクの時代になっていろいろなことが出来るようになってきました。一例を上げると音声入力に対応して即座に文字化するソフトもずいぶん進展してきました。中途失聴によって仕事や人間関係を失っていくのはつらいことです。こうした機器の導入などによって自宅に引きこもりがちな難聴者を社会参加に持って行きたいと思っています。また選挙の際の情報入手にも力を入れたいと考えています。

 私はまだ体力も気力もあり、山登りも大好きです。これからも難聴者の要望が実現されるようにみんなと一緒に頑張っていきたいと思っています。


やまぐち たけひこ
1935年京都市生まれ。58年京都大農学部卒業。同年JA全農大阪に就職。81年から2004年まで京都府難聴者協会会長、04年から今年3月まで同協会事務局長。4月から副会長。全国難聴者・中途失聴者団体連合会理事を歴任。