ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

外国人の言葉の壁取り払う

びわ湖国際医療フォーラム代表、公立甲賀病院顧問
井田 健さん




病院内で職員と語り合う井田顧問
(滋賀県甲賀市水口町)
 医者になりたいと思ったのは中学生の時でした。大学を出て長浜市や島根県出雲市など3カ所の病院を回ってこの公立甲賀病院に来たのは30年以上前のことです。甲賀は私が生まれ育った地でもあります。ちょうど外科部長のポストが空いたので声がかかったのです。

 しばらくしてベトナム難民の方が受診に来ました。この甲賀地域でもボートピープルを受け入れたのです。何人もの方がお見えでした。着の身着のままで日本語はもちろん英語もできません。私も大変でしたが、ベトナムの方も大変だったと思います。言葉の壁を痛感しました。強烈な印象が残りました。外国人の医療は難しい。トラウマのようなものができました。

 その後、工場研修でこの地に来たインドネシアの方もよく診ました。25年前ぐらいから日系ブラジル人の方が来られるようになってきました。この地で働いたり研修したりする方が徐々に増えてきたのです。企業から通訳がついて来ましたが、日常会話はできても医療用語は知らないのです。開腹手術の説明も大変でした。これは何とかしないと思ってブラジルの言葉であるポルトガル語を学び始めました。独学です。そうすると、外科医でしたが、ポルトガル語を知っている先生がいるとなって内科の患者さんも来たりしました。別の話ですが、ある日、無国籍で東南アジア系の10代男性が来たのも衝撃でした。日本で生まれたけれど、何らかの事情で出生届が出されぬままということでした。各方面と交渉、協議したことも記憶にあります。

 医療現場でこうした言葉の壁や生きていく上でのさまざまな壁をどう乗り越えればいいかと考えて、10数年前に「滋賀国際医療フォーラム」を作りました。関心を持つ関西の有志の医者らが集まって医療現場における言葉の壁をどう解決していくか、その課題解決に向けて動きだしたのです。このフォーラムはその後、名称を「びわ湖国際医療フォーラム」と変更して年に2回開催しています。少しずつですが前進しています。そして一方で具体的な動きを形にしていこうと「滋賀県多言語医療通訳ネットワーク」を立ち上げ、病院に医療通訳者を設置する運動を微力ながら進めています。当病院にはポルトガル語とスペイン語の通訳がいます。

 こうした分野では米国が多民族国家だけに進んでいます。やはり日本でも医療通訳の資格化が必要ではないでしょうか。そういう方針で皆の力を借りながら頑張っています。国際医療通訳者協会の一層の発展も願っています。いろいろなレベルで努力を続け、徐々に確かなものにしていきたいと思っています。


いだ・たけし
1942年甲賀市水口町生まれ。67年に京都大医学部卒業。
各地の病院勤務をへて83年から公立甲賀病院勤務。外科部長、副院長をへて現在は同病院顧問。びわ湖国際医療フォーラム代表、滋賀県多言語医療通訳ネットワーク代表などを務める。京都新聞大賞福祉賞受賞。国際医療通訳者協会の「アドボカシー賞」受賞。