ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

点字で司法試験 道開く

弁護士、日本盲人会連合会会長
竹下 義樹さん




スタッフと打ち合わせをする弁護士の竹下義樹さん(京都市中京区の事務所)
 憧れていた弁護士を目指して動き出した高校3年が私の人生の始まりだったのだろう。けがで全盲となり、弁護士への夢を実現させるために、司法試験に点字受験の道を開きました。障害者、貧困、年金問題の3本柱をライフワークにしています。

 中学3年の14歳の時、相撲部のぶつかり稽古が原因で、外傷性網膜剥離になり失明しました。盲学校へ進み、マッサージ師になろうと勉強しました。でも、何か、物足りなさを感じていました。このころ、テレビの検事ドラマ、探偵や推理小説が好きで、弁護士に対して「かっこいいな」との印象を持ちました。どんどん気持ちが膨らみ始めて、「目が見えなくても、弁護士になれるのだろうか」と具体的に思うようになっていました。高校3年の時、友人たちに「弁護士になりたい」と公言してしまいました。ここが現在の私の原点となります。宿題もしたことがない私に、学校の恩師や同級生はあきれていました。

 どうにかして大学の法学部に入ろうと、何校かを受験しました。もちろん点字受験です。2浪してやっと入学できました。学生時代は、薬害スモン訴訟で活動する弁護士などに接したり、弁護士の講演会にも足を運びました。弁護士への憧れが「軽い気持ちから中身のあるもの」に変わっていきました。

 弁護士になるためには難関の司法試験に受からなければなりません。当時、点字受験はありません。若手弁護士らの支援を受けながら法務省へ掛け合いました。この時の人との出会いは私の人生を豊かにしてくれました。

 司法試験への勉強をするにしても、点字の文献や音読テープはありません。学生や主婦らのボランティアに手助けしてもらい、司法試験にチャレンジしました。法律用語は独特で、「読み」が難しく苦労しました。たまった点字本は200冊、音読テープは1000本以上にも及びます。9回目の挑戦でようやく受かりました。弁護士への道は「八転九起」です。この間、結婚もしており、マッサージ師として生活費や学費を捻出しました。

 30年ほど弁護士をしています。失敗もしましたが、充実していたと思います。今年、改正障害者雇用促進法、障害者差別解消法が施行されました。法律ができただけでは駄目。障害者が夢を持ち、それを追い掛けることができる社会にならなければならない。これからの数年はそのために働きたい。今は京都、東京、全国と飛び回っています。でも、やり残したことはないかと、考える時間もほしいです。


たけした・よしき
1951年石川県輪島市生まれ。龍谷大法学部卒業。81年司法試験合格。84年京都弁護士会所属。94年京都市中京区に個人事務所開設。日弁連貧困問題対策本部本部長代行など歴任。2012年から日本盲人会連合会会長。