ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ろうあ者の気持ちになり


京都手話通訳問題研究会会長

持田 隆彦さん




手話で会話する持田隆彦さん(京都市南区)
 ろうあ者にとって、自分の思いを人に伝えられないことが最大のハンディになると思います。そのために手話があります。手話で通訳していると、ろうあ者の通訳のはずが、いつのまにか、相手側からの説明者になっていることがあります。こうならないように最も気を遣います。

 1976年の結成時から京都手話通訳問題研究会の会長を務めています。手話に初めて接したのは、集団就職で勤めた西陣の紋図業者です。職場にろうあ者が入ってきました。指導係になり、やむを得ず、手話を覚えることになりました。日本で最も古い手話学習会「みみずく」に入り、仕事が終わった後、夜に学びました。今、考えると「聞こえる人と聞こえない人が交流できる大切な場」です。聴覚障害のある妻とはここで知り合いました。

 変な話ですが、手話を習い始めて、「日本語」が分かるようになりました。私は島根県出身で、京都弁が分からずに苦労していました。手話は地方ごとに表現が微妙に異なります。職場で口数が少ないといわれてましたが、実は言葉が分からなかったので、しゃべれなかったのです。京都の「みみずく」で手話を学んでいくことで、職場でも会話ができるようになりました。自分にとっては、手話のおかげで、言葉(京都弁)を獲得したと思っています。

 手話を習い始めて3カ月ほどたったころ、手話劇の上演依頼を受け、青森に向かう列車の中で、手話の指導者から「君の手話はおもしろい」と言われました。手話は基本的に「てにをは」はなく、単語をつなげていきます。これに形容詞を加えて状況を補足します。この形容詞の表現方法が独特だったのでしょう。1967年暮れから、「手話落語」を始めました。「人が笑わない落語」だったと思います。おもしろくするために、これから手話にどっぷりはまりました。

 研究会は、京都府内の約360人がメンバーです。活動は団体名称を「手話」「通訳」「(ろうあ者)問題」と区切って、捉えてください。それぞれの分野で関心のある人が集まり、ろうあ者の日常生活においての問題点を考えています。特にろうあ者から要望の多い、医療については班を設け、より細やかな対応を進めています。例えば、薬の食前、食間、食後の服用をどう手話で表現すれば適切に伝わるのか。医療の専門用語をどう表現するのか。なかなか難しいです。やはり「ろうあ者の気持ちになって」ということが基本です。

 手話も時代とともに変化していきます。それでいいと思うのですが、同時にろうあ者がたどってきた歴史も失われていくような気がします。手話は無形の文化遺産でもあると思います。これから、この歴史を何かの形で残していければと考えています。


もちだ・たかひこ
1945年島根県出雲市生まれ。73年から3年間、手話学習会「みみずく」会長。76年から全国手話通訳問題研究会京都支部(京都手話通訳問題研究会)支部長。京都府手話サークル連絡会会長歴任。京都市南区在住。