ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「大きなうた」親子の姿から


シンガーソングライター、障害者通所施設「あおい苑」施設長

中島 光一さん




ギターを弾きながら「大きなうた」を歌う中島光一さん(京都市左京区・障害者通所施設「あおい苑」)
 歌を歌わなければ、この福祉の仕事をしていないし、福祉の仕事をしているから歌を歌い続けられています。曲の多くが障害者をテーマにしています。仲間、親、兄弟などの気持ちになって歌を作り続けています。

 歌との出会いは、中学生のころ、ラジオから流れる米国のフォークソングに「何とすごい音楽」と感動しました。当時、流行歌になじめず、街にはうたごえ喫茶などもあり、影響を受けました。京都市内に駐屯していた米軍兵から3jでギターを譲り受け、独学で創作・演奏活動を始めました。

 大学生になって、社会人、大学生、高校生らと「音楽集団ポロ」を結成し、京都府内に演奏活動に出掛けました。各地に音楽活動が広がり、福知山や亀岡などとの11団体で「京都フォークソング連絡会議」を立ち上げ、初代議長になりました。大学1年の時に作詞・作曲した「大きなうた」が小学3、4年の音楽教科書に載ったり、NHK「みんなの歌」で放映されました。この歌は銭湯で見かけた親子の姿にひらめき、3分でできました。ですから歌詞、メロディーともシンプルです。6番の歌詞「大きな道だよ 本当の道は 平和につづく 大きな道だよ」が好きです。当時、ベトナム戦争も本格化しており、「子どもたちに戦争を見せてはいけない」との思いを込めています。妻のシンガーソングライターの野田淳子とは歌を通じて知り合いました。

 福祉との関わりは、京都の障害児教育の草分けである人見君子さん(93)が叔母であったこと。幼児のころから障害児と一緒に遊んでいました。大学卒業を控え、障害児教育か、障害者施設かで、進路に悩みました。日本の障害者福祉を切り開いた故糸賀一雄さんから高校生の時にかけられた言葉「ジャンルは関係ない。誰かの風になるために生きたらいい」が思い起こされました。大阪府内にあった障害者約800人が暮らす「コロニー」に勤めました。その後、いくつかの施設を経て、1997年に叔母が理事長を務める社会福祉法人の障害者通所施設「あおい苑」(京都市左京区)に来ました。

 あおい苑では、2009年から通所者、施設職員全員がミュージックベル(ハンドベル)の演奏に取り組んでいます。18歳から73歳までの30人余りです。コンサートを聴いた観客が笑顔を見せてくれたり、涙を流して感動してくれます。障害者にとっては、自信や勇気につながっていると思います。

 音楽活動では、シンガーソングライターのウディ・ガスリーが好きです。ノーベル文学賞を受賞するボブ・ディランにも影響を与えた人です。ボブ・ディランの受賞はすごい。彼の生き方から受賞を辞退するのではないかと思っていただけに、私たちの励みになります。ウディ・ガスリーは生涯1000曲ほど作ったといわれています。私は今、500曲ほど。後20年、頑張って1000曲を目指したいです。


なかじま・こういち
1948年京都市左京区生まれ。立命館大文学部卒業。
シンガーソングライターとして活動しながら、大阪府内の障害者施設を経て、97年から障害者通所施設「あおい苑」副苑長として勤務。2001年に施設長就任。京都市東山区在住。