ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

障害者への理解働きかけ


全国手をつなぐ育成会連合会長

久保 厚子さん




施設職員と打ち合わせをする全国手をつなぐ育成会連合会長の久保厚子さん(大津市石山千町・「ステップ広場 ガル」)
 全国手をつなぐ育成会連合会(事務局・大津市)は、知的障害、発達障害者の権利擁護と政策提言を行っています。障害者とその家族が会員で、47都道府県と8政令都市の計55団体約20万人で構成しています。「障害者が隣にいてもいいよ」という共生社会を目指しています。

 子どもが3人います。長男に重度の知的障害があることから大津市の育成会に入りました。長男は生まれてすぐ、血を吐き、先天性十二指腸閉(へいそく)と言われました。生後3日目で手術を受けた時、医者から障害があるかもしれないと告げられました。1カ月後に癒着が見つかり、難しい再手術をするかどうかと判断に迷った際、医者から「手術がうまくいっても、子育てが大変なうえ、この子は20歳まで生きられません」と宣告されました。夫婦で話し合いました。「せっかく生まれてきたのだから、1%でも助かる可能性があるのなら、それにかけよう」と、また、自分たちにとっては「その可能性を駄目にしたという後悔を持ち続けたくない」と考えました。結果、再手術を受け、7歳でやっと歩けるようになり、現在42歳で、支援施設に入っています。

 長男は生後3カ月間、泣く力もおっぱいを吸う力もなく、点滴だけで過ごしました。その後、少しずつミルクを飲み始め、生後7カ月で体重も5`となり、やっと退院できました。市の6カ月健診に行った時、子育てについて相談した保健師から大津市の育成会を紹介されました。月1回程度、長男を連れ、障害がある子どもを育てる母親の話を聞きに行きました。子どもの幸せを求めて一生懸命活動する母親たちを見て、お手伝いができればと、自然に活動に加わっていきました。

 次女が幼稚園に入ったころに、地元の育成会の役員となり、活動を本格化しました。当時、大津市には知的障害者の入所施設が他市に移転し、ありませんでした。育成会など大津市の8団体と共に設置要望を行い、10年越しで、現在、私が理事長を務める社会福祉法人しが夢翔会を立ち上げ、1997年に知的障害者の生活施設「ステップ広場 ガル」の開所にこぎ着けました。

 育成会の活動では、知的障害者のJR運賃割引、成年後見制度において知的障害者に選挙権を取り戻す署名活動などが記憶に残ります。昨年起こった津久井やまゆり園事件では、多くの人が心の奥底に障害者は自分たちとは違う存在だという気持ちがあることを再確認させられました。やまゆり園事件を風化させてはいけませんが、もう一歩、前に向かって進もうと思っています。今後さらに障害者への理解を働きかけていくために、知的障害、発達障害の疑似体験活動を全国の学校などに広げていこうと考えています。


くぼ・あつこ
1951年大津市生まれ。大津高卒。前身から組織替えした2014年から全国手をつなぐ育成会連合会長。現在、社会福祉法人しが夢翔会理事長、オリ・パラに向けた障害者の文化・芸術を推進する全国ネットワーク会長、内閣府障害者政策委員会委員など役職多数。大津市在住。