ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

平和希求 魂の曲に出会う

筝曲演奏家 梶 寿美子(かじ すみこ)さん




主宰する琴アンサンブル「プリマルーチェ」で生徒に指導する梶さん(京都市中京区)
 初めて琴に触れたのは、京都府立盲学校に入った5歳のころです。まさか一生の仕事になるとは、思ってもみませんでした。

 演奏家として舞台に立つことの多い今、心がけていることがあります。聴衆のみなさんそれぞれが、一人で迷っている視覚障害者を見かけたら「一緒にバス停まで行きましょう」と声をかける気持ちにさせられる。そんな演奏がしたいのです。

 生まれつき目が不自由な私は体も弱く、母は「学齢前から府立盲学校へ入れて鍛えよう」と奔走しました。京都ライトハウス生みの親で、当時の盲学校副校長だった鳥居篤治郎先生(京都市名誉市民)に、幼稚部の新設を直訴したのです。願いかなって幼稚部に入園したのは1952年でした。

 盲学校では小、中とも琴に親しみ、高等部は音楽コースを選んで琴に打ち込みました。小学部2年生の夏、三重苦を克服した、あのヘレン・ケラーさんが学校を訪れ、私が代表で花束を渡した思い出があります。

 大阪音楽大で琴を専攻し卒業するころは、府立学校の教員が第一志望でした。しかし、視覚障害に立ちはだかる壁は厚く、琴で身を立てる決心を固めました。自宅で教室を開いたのですが、現実は厳しいものでした。かつて、琴の指導者には視覚障害者が多数いましたが、社会の変化にともない、その占める割合は急速に減っていたのです。

 私は指導の場を公的な施設に求め、京都市の下京勤労青少年ホームでも教えました。そこで夫(宏さん)と出会うのです。当時、ホームの所長でプログラム作りや舞台構成まで助けてくれました。今も頼もしい存在です。

 右胸の乳がんが見つかったのは結婚翌年の91年でした。全摘手術になり、術後は右手が利きません。琴が弾けない非常事態。母の認知症介護も重なり挫折寸前でした。「君はお琴を弾け」。その時、夫のひと言で続ける気力が湧きました。右手はほぼ100%回復しています。

 外で公演する機会が増えた十数年前、魂を揺さぶられる作品に出会いました。朗読曲「おゆき」です。原作は詩人の、ひらのりょうこさん。盲学校の恩師、千秋次郎先生に曲を作っていただき、私が弾き語りします。おゆきは機織りで10人の子を育てた西陣の女性。戦争で6人の子を失いながら気丈に生き抜いた姿が、母に重なるのです。平和の尊さを教える作品でもあり、私のライフワークと決めました。多くの人に聞いてほしいですね。

 平和を守るには、戦争の恐ろしさを知ることが大切です。戦争を知る人の話に耳を傾けていただくため、夫とその親友のトークをまじえたコンサートを8月6日午後3時から、京都市上京区のザ・パレスサイドホテルで開きます。京都ライトハウスへの運営協力カンパも訴えます。どうぞ、お運びください。


かじ・すみこ
1947年京都市生まれ。大阪音楽大短期大学部卒。全盲の指導者、演奏家としてチャリティーコンサートなどを通じ、視覚障害者への理解と、その地位向上に努めている。京都新聞大賞(福祉賞)、京都芸術文化協会賞など受賞多数。琴アンサンブル「プリマルーチェ」主宰。筝曲生田流師匠。