ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

行政への橋渡し役担う

京都市身体障害者団体連合会主席副会長

日野 勝さん



「団体の活動を担う後継者の育成を急ぐとともに、一人で悩んでいる障害者を掘り起こし相談に乗ってあげたい」と話す日野さん(京都市中京区の自宅)
 私が初めて身体障害者手帳を手にしたのは、京都市内の染色工場で働き始めた16歳のころです。工場の親方が、右足の不自由な私に「持っておいた方がいい」と、手配してくれたのです。

 当時の障害者福祉は戦後の黎明(れいめい)期で、私は手帳の意味さえよく知りませんでした。いま障害者福祉は格段に充実しましたが、それに慣れすぎ、福祉サービスは「やってもらうのが当たり前」と考える障害者を見受けます。間違えてはいけない。ここに至るまで格差や差別に苦しむ先人たちの粘り強い取り組みがあったことを忘れてはなりません。

 身体障害者の全体にかかわる課題や困難に対しては、個々人がばらばらに声を上げ不満を言い募っても状況は変えられません。声をまとめ一つの窓口を通してルールにのっとり行政や立法府の最上位へ届ける組織と行動力が欠かせないのです。80歳を超えた私がなお、身体障害者団体にかかわっているのも、そのことを理解してもらい、後に続く人材を育てたいからです。

 私は、和服の染色で使う技術「ピース加工」を本業にしてきました。16歳で最初に勤めた工場の日当は50円。手に職をつけたい一心で、毎日午前8時から午後11時まで働きづめでした。あのころの気力はまだ持ち続けているつもりです。職人として独立後は金箔(きんぱく)加工なども手掛け、工場を経営したのですが、17年前に退きました。

 身体障害者団体の活動に加わ?たのは20年以上前からです。頼まれて中京区身体障害者団体連合会の会長を引き受け、すぐに取り組んだのが区内で開く「地域ふれあい文化展」でした。視覚、聴覚、肢体、身体の障害4団体が合同で、一般との交流、理解促進をめざす事業です。

 新しい試みに、参加者の体験学習を導入しました。車いす、手話、要約筆記、盲導犬の4つです。19回目になることしの文化展でもこれを継承。子どもの参加が多く、親しみやすい啓発事業に定着しています。

 就労支援の事業受託で、NPO法人京都市肢体障害者協会の高山弘理事長(当時)とともに働いたのは得がたい経験でした。障害者自立支援法が成立する(2005年)直前の時期。「京都市から受託が実現すれば、中軽度身体障害者の生活向上につながる」と、2人で市へ何度足を運んだことか。担当の市職員さんらにも助けられ、年末に予算決定の知らせが届いた時は感無量でした。事業は、私も所長を務めた京都市障害者職業能力開発等支援事業所(南区)が担当、いまも続いています。

 ひとりで悩みを抱え困窮している障害者を掘り起こし、相談に乗るのも私たちの大事な仕事です。個人情報保護が壁になり、いまは見つけ出すのが困難です。行政などを説得して救われるべき人をどう見つけていくか。私の次の目標−と定めています。

ひの・まさる
1936年、京都市生まれ。
中学卒業後、染色工場に就職。ピース加工染め職人として独立の後、60年に工芸会社を設立。傍ら、障害者団体の活動にかかわり、中京区肢体障害者協会会長、日本身体障害者団体連合会評議員などを歴任。京都市長表彰、厚生労働大臣表彰ほか受賞多数。