ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

共に生きる社会を実現へ

誕生日ありがとう運動京都友の会代表

馬庭 京子さん



「ボランティア活動で交流のある幼稚園児や、若いお母さんからは、バババーチャンの愛称で呼ばれる馬庭さん(京都市山科区の常設店舗「にこにこランドたんぽぽ」の前で)
 心身にハンディのある子どもと家族の役に立ちたい。その思いから、80歳の今日まで「だれでも、どこでも、できることから」をモットーに、ボランティア活動を続けてきました。

 「誕生日ありがとう運動」は、その最初の取り組みです。だれかが誕生日を迎えた家族に、一口100円の寄付をいただき、ハンディのある子どもを思う心を集めるのが趣旨。十数人の仲間で1970年、啓発のための「京都友の会」を発足させ、今日に至っています。

 私は大学時代から近江学園の創設者、糸賀一雄先生の思想と実践に学ぼうと決意。卒業すると大津にあった近江学園を訪ねました。「子どもたちと寝起きを共にできますか」。先生に問われ自信が持てず、神戸にできたばかりの幼児の通園施設に就職しました。

 精神薄弱児という言葉が使われていた時代、10人の子どもの療育を担当して親御さんたちの心労と、社会の偏見・無関心を痛感しました。障害への理解と共感、連帯を広げる活動が重要だと気付かされたのです。

 結婚で京都市に移ってからは「京都友の会」の活動として、映画「この子らを世の光に」の巡回上映と講演の支援活動に力を入れました。名古屋で作られたこの映画は重いハンディのある子どもたちが懸命に生きる姿を描き、私は衝撃を受けました。京都市にフィルムを購入してもらい、学生さんらと16_映写機を担いで京滋の学校やPTAを回り、100回以上、上映しました。「この子らを世の光に」は糸賀先生の有名な言葉ですが、私の活動の原点でもあります。

 子どもたちに安全な玩具を提供して遊びを通じ交流する「タンタンおもちゃライブラリー」を、お母さん方と始めたのは83年でした。山科・毘沙門堂さんのご好意で40畳の広間を借用。大勢が集まれる楽しい場になりました。

 私たちの活動は、市民を巻き込み共感の輪を広げることが大切です。そこで玩具購入の資金づくりを兼ね85年、JR山科駅近くの民家の軒先を借り、無農薬野菜などを販売する「たんぽぽ市」を開始。多くの協力と善意が集まり、2年後には常設店舗「にこにこランドたんぽぽ」に発展しました。

 支えられ励まされて歩んで来た私の次の目標はインクルーシブ教育の普及です。ハンディのある子とない子を幼い時期から同じ普通学級で育てる。「共に生きる社会」の実現は、それなしには困難だと思うのです。

 ハンディの有無を越え市民として一緒に歌い上げよう、と始めた「命輝け京都第九コンサート」(隔年開催)は、昨秋で12回目を迎えました。手話表現もあり、京都コンサートホールを会場に毎回、500人が出演します。来秋もぜひ多くの方々の参加をお待ちしています。

まにわ きょうこ
1937年、京都市生まれ。神戸市立の幼児通園施設「丸山学園」に勤務の後、70年、「誕生日ありがとう運動京都友の会」結成を主導。NPO法人「命輝け第九コンサートの会」理事長なども務めた。93年、オムロン・ヒューマン大賞を受賞。