ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

続く育成講座さらに注力


一般社団法人京都ボランティア協会理事

藤本 守さん



「ボランティア活動をここまで長く続けられたのは、信頼できる多くの仲間に恵まれたおかげ」と語る藤本さん(京都市南区の「京都飲料」本社)
 京都でボランティア活動にかかわって50年余りになります。成人するまではボランティアとは無縁でしたが、社会から置き去りにされる人たちを応援したい思いは、心の隅にいつもありました。

 21歳のある日、入院中の病院で点字新聞を話題にしたテレビ番組を見ました。そこで視覚障害の人たちが訴えていたのです。「私たちの週刊誌がほしい」。

 点字の刊行物が少なかった時代。広く社会を知りたいという切実な願いです。「応援するならこれだ」と決め退院後、京都府立盲学校を訪ね点字の勉強から始めました。京都ライトハウスを拠点にしたボランティアサークル「点友会」に入会。仲間と取り組んだのが点訳でした。

 当時は紙の上に鉄筆で点を押していく作業です。手に豆をこしらえながら地図や触知絵本を作りました。絵本に登場するネズミやイヌは布で縫い上げます。本物の手触りに近づけるため、妻と2人で深夜まで工夫を重ねたのは、懐かしい思い出です。

 1970年に30を超すボランテ?ア団体が集まって連帯交流の組織「京都ボランティア会議」が結成され、点友会も参加しました。基本理念は「共に生き、共に学び、共に進もう」。私は会社勤務の傍ら、75年から会議の常任委員長に就き障害児たちを励ます「わたぼうしコンサート」の開催支援などを担当しました。

 しかし、この会議は組織としては非力でした。個人参加を認め、ボランティアの需給調整や人材育成なども担う会員制組織に衣替えしようと、参加団体の意見が一致。こうして80年に誕生したのが「京都ボランテ?ア協会」です。会員は300人を超え、行政や企業の支援をいただいて事務局(現在は下京区)体制も充実。基本理念は、京都ボランティア会議の「共に生き―」を、そのまま受け継ぎました。

 初代の理事長には私が推され車いす専用車両の運用や歩道の段差調査などに取り組みました。自らの使命を再認識させられたのは95年の阪神大震災です。窓口にボランティア希望者が殺到。被災地が求める人員や物資の情報を集め、事務局で一元管理したのです。情報センターに徹することで「京都だからできる支援」が可能になり、全会員が鍛えられる機会になりました。

 協会最大の年次行事として83年からバザー形式で始めた「京ボラまつり」には、運営委員長として長く携わりました。どんな団体でも発表や出店ができ、貴重な福祉情報交流の場として定着。名称を変え今も受け継がれているのは喜ばしい限りです。

 協会発足時に始めた「ボランティア講座」も続いています。次代のボランティア育成へ、啓発や研修活動は欠かせません。協働、共生の社会を実現するためにも、これから一層力を入れるべき分野だと確信しています。

ふじもと・まもる
1943年、大阪府生まれ。立命館大卒。清涼飲料製造卸の「京都飲料」代表取締役社長。学生時代から、点訳奉仕などに従事。「京都ボランティア会議」運営委員長などを経て80年、「京都ボランティア協会」の創設に参加。初代理事長を15年間務めた。現在、ボランティアサークル「点友会」副会長。