ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

同伴者と安全に助け合い


京都視覚障害者山の会会長
大橋 東洋彦さん




例会では、高い山だけでなく城跡探訪や、街歩きをすることもある。大阪城公園の梅林で花の香りを愛でる大橋さん(2月18日)
 山歩きの魅力は体を使うこと、清浄な空気を吸えること、動植物に出会えることなど、数え切れません。

 視覚障害のある私たちには、積極的に外に出て社会と関わりながら、健康増進にも役立ちます。山頂からの景色は見えないけど想像はできます。鳥の声を聞き、植物の存在を体に感じます。大自然に抱かれた素晴らしい心身のリフレッシュです。

 80歳近くになった私ですが、山への憧れはまだまだ衰えません。これから歩きたい山では、熊野や十津川周辺を考えています。

 山歩きの視覚障害者には、何かと危険が伴うように思われがちです。「安全第一」の大原則を守り、同伴者が付き添っていれば、危険は避けられます。30年以上、山を歩いてきて、何度かヒヤリとした経験はありますが、大きな事故や遭難は私自身と同伴者、仲間たちのいずれにも起きていません。

 私は幼いころから目が不自由ですので出身地の静岡県にある浜松盲学校で学び、マッサージなどの理療科教員を目指して東京の大学に進みました。

 浜松盲学校時代の恩師、楠本かず枝先生は、京都から転勤して来られた方でした。先進的な視覚障害教育に取り組んでこられた先生のお話を聞くうち、京都に行きたい気持ちが募っていました。大学卒業後、富山県の盲学校教員を経て府立京都盲学校に赴任したのは24歳の時です。

 仕事の傍ら、京都ライトハウスの職員や京都府視覚障害者協会の若手で集まって、ハイキングなどに出かけました。京都・愛宕山の夜間登山などを経験して、少し自信もついてきた1985年、11人の仲間で結成したのが「京都視覚障害者山歩きの会」です。

 会員が増え、例会としての山歩きが定着した3年後、「京都視覚障害者山の会」(通称・京都山の子会)に名称を変更。会長は発足以来、私が務めることになってしまいました。

 私たちの山歩きは、同伴してくれる山好きの仲間が欠かせません。ただ、「どちらか一方が山に連れていく」という関係では長続きは無理です。同じ会員同士、共に助け合って頂上を目指し、到達の喜びを分かち合えるように努めてきました。野鳥の会会員や植物の専門家など、会員の顔触れは多彩で、楽しんで参加できるグループに育ったと実感しています。

 例会は毎月行われ、これまでに私が登ったり歩いた山は200を超すでしょう。立山や八ケ岳、白馬岳にも挑戦しました。合宿登山や視覚障害者全国交流登山大会への出場も経験。歩き慣れた京都の北山では、何度か野だての風流を楽しんだ思い出もあります。

 現在、会員は100人弱。高齢化に加え、山をよく知る人も減りました。入会はいつでも歓迎、とくに若い人の参加を期待しています。若い人たちが新しく山のグループをつくるのなら、それもまた喜ばしいことだと思います。

おおはし・とよひこ
 1939、静岡県生まれ。東京教育大特設教員養成部卒。64年から99年まで京都府立盲学校教諭。40歳代で山歩きを始め85年、仲間と共に現在の京都視覚障害者山の会を設立。京都ライトハウス評議員などを歴任。2012年、長年の福祉功労で日本盲人会連合の「青い鳥賞」を受賞。