看護師と総合的ケアの経験を生かし、最期の看(み)取りまで担う高齢者介護に携わって26年になります。私たちの介護理念は、人としての尊厳を失わず生を全うできるよう支援すること。「孤独にせず、人生を最後まで楽しんでもらえるように」と、常に心がけてきました。
認知症、寝たきりであっても、大切にされるべき個々の尊厳を「いのちの花」と名付け、1994年に設立した協会(有限会社)の名称としました。理念を形にしたグループホーム「高野の花の家」(98年開設、京都市左京区)は、認知症対象のターミナルケア付き民間ホームとしては、国内初の施設でした。
現在の中心施設は「北白川の花の家」(左京区、48室)です。ターミナルケアの有料老人ホーム。入所者は、広く取ったリビングを中心に過ごし、食事とリハビリをとくに重視しています。
私は九州・天草で生まれ、主に祖父母に育てられました。20歳で看護師を志したのは、困った人の世話をいとわない祖母の影響です。准看護師学校を経て福祉専門大学に進み、さらに京都の高等看護専門学校に入学しました。既婚30歳、3カ月の長女を抱えたママさん新入生でした。
大学、学校では一貫して勤労学生で通し、昼は病院に勤めました。内科から精神科まで、多くの診療科を体験したことが私の血となり骨になっています。
学校を出て働いた西陣の診療所では、訪問看護に出かけ「老老介護」など在宅ケアの実情を肌で知りました。医療、介護の知識や技術を持たない介護の限界。「これからの介護は、ヘルパーや看護師、医師などのチームによるケアでなければ、立ち行かない」と痛感させられました。
病院勤務が一段落したころ、京都市の第三セクターによるホームヘルパー養成講座の講師を頼まれました。2年間の修了生600人の中から「学んだ技術を生かす場を」と要請され92年、京都在宅ケア研究所を設立。ケアワーカー養成と地域での在宅ケアを始めました。多忙になった研究所を2年後、日本いのちの花協会と改称したのです。
病院勤務のころ、自分の将来を展望して考えたのは、医師にできない私の介護得意技で勝負すること。おいしい食事が作れる、排せつケアができる、患者に見合ったリハビリ提供の三つです。病院では難しいこれらのケアを実現させたのが、私たちの協会だと自負しています。
介護現場にいて、いま気になるのは将来の認知症や介護に備える人が少なすぎること。今こそ「国民総介護員化」が必要です。ボランティアでもいい。認知症介護を自ら実体験しましょう。私は認知症サポーター養成用にケアや予防法をまとめた映像テキストを作りました。これを使った啓発活動を、今後の大切な仕事にしていくつもりです。