支援する人、される人が壁をつくらず、赤ちゃんからお年寄りまで安心してふれ合える場所を地域につくりたい。京都府の保健師として働き始めたころから、そう願い続けていました。
仕事を通じ、子育ての悩みや虐待、不登校、高齢者介護、認知症など、生きづらさを感じている人、居場所のない人たちを数多く見てきたからです。
府を退職した2000年に、志を同じくする福祉の専門職仲間8人で「あそびの広場」を長岡京市内に開設しました。「ほっとスペースゆう」の始まりです。
3年後にNPO法人化を果たし、介護デイサービス事業を手がけるなど活動を本格化させました。現在は長岡京市から多世代交流施設「市立あったかふれあいセンター」の運営を受託。年間利用者はのべ6千人(昨年度)を超え、ここを活動の拠点にしています。
私が保健師の道を選んだのは、戦時中の疎開先で、いじめに合った経験からです。幼な心に「いじめられる子どもを応援する仕事に就こう」と思い、看護職の中でも地域で活動する保健師を選んだのです。
向陽保健所(現・乙訓保健所)に勤めた1970年代、管内は宅地開発で子どもが急増。乳幼児健診が重要課題でした。「異常の早期発見」などをテーマに、市町村の保健師らとサークルを結成。勉強会を重ねました。未受診児ゼロを目ざし地元自治体とも協力して100%受診を実現できたのは大きな成果でした。
長岡京市では2006年、3歳児が虐待され餓死する痛ましい出来事がありました。衝撃を受けた私は、京都府の検証委員会に加わり安否確認ルールなどを提言。六つの市民団体で「長岡京市子育て支援ネットワーク」を組織して、子育て段階からの虐待防止にも取り組みました。
一人で悩む母親を支える子育て支援は、虐待防止につながります。母親に手を差し伸べることが良好な親子関係をつくるのです。行政だけの虐待防止は限界があり、市民参加が不可欠。兆候の早期発見には、乳幼児に接する機会が多い保健師こそ最適の職業であることを、保健師自身が自覚する必要があります。
「ほっとスペースゆう」のスタッフは現在20人で、各種資格を持つ福祉専門家集団です。力を合わせ「あったかふれあいセンター」が訪れる人の居場所になるよう努力しています。
センターではいま、高齢者が母親たちと赤ちゃんを囲んで談笑する光景が日常的に見られます。誰でも出入り自由。栄養士が献立をつくり調理するランチ(500円)が人気です。不登校の生徒とその親も集まり、中にはギターを弾き高齢者や子どもたちを楽しませてくれるまでに成長した生徒もいます。将来、同様のふれあいの場が市内にもう3カ所増えれば、と願っています。