ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

できることに手は貸さず

NPO法人「やさか福祉村」代表
松村 真由美さん



近所の子どもたちもよく遊びに来るという、はなまるデイサービス。居間で、帰り支度のお年寄りに声をかける松村代表(京丹後市弥栄町堤)
 認知症のお年寄りが、持てる能力を維持しながら自宅のように安心して過ごせる場所をつくりたい。今したいことを我慢せず、すぐできるようお手伝いしたい。「やさか福祉村」を設立したのは長年、胸にためた思いを実現させたかったからです。

 デイサービス事業(はなまるデイサービス)を始めて、ことしで13年になります。利用者さんたちと共に、楽しい大家族を作れたと自負しています。

 はなまるデイサービスでは「世話をする人、される人」という区別をしません。認知症であっても、役に立つ自分、生きている実感につながる支援が目標です。運営の原則は利用者さんに「手を貸さない」こと。自分でできることは、自分でやってもらう主義なのです。

 分かりやすい例が食事です。利用者さんと職員みんなで作ります。一緒に買い物に行き、時には施設内の畑で野菜を収穫。煮炊きから配膳、後片付けまで全員参加です。利用者さんはベテラン主婦がそろい、料理はお手のもの。時間はかかりますが、出来上がってテーブルに着くと、作った料理をめぐって、あれこれと会話が弾み、自然に笑いが起こります。手を出してばかりの介護では、利用者さんは持てる能力を発揮できず認知症はかえって進んでしまうのです。

 私は高校卒業後、シェフを志して大阪の調理師専門学校で学びました。外国で修業する夢も描いたのですが、父から帰郷を促され、京丹後市のJАに10年間勤務。高齢者福祉が地域の最大課題になると予感したので、社会福祉協議会のデイサービス施設に転職して調理師として働きました。食で高齢者を支えたかったのです。

 しかし、利用者さん個々の生活や家庭事情をよく知らなければ、本当に支える仕事はできないと気付き、認知症対応のグループホームに、約3年間勤めました。楽しい職場でしたが、職員は決まった仕事以外はできません。ルール重視で利用者さんの要望に即、応えられないもどかしさも募っていきました。

 「もっと自由で元気が出る居場所を。自分が事業者になるほかない」。ちょうど、難病の父の介護も必要になったころで、土地を探し施設を建設。失敗覚悟で事業に踏み切ったのです。

 事業を続けてきてあらためて思うのは、地域との連携の大切さです。ご近所の農家はいつも野菜を届けてくださり、水害の年は住民の方々に助けられました。近くの小学校児童にも幼老交流で元気をもらっています。

 今後の目標は事業の円滑なバトンタッチと地域への恩返しです。共に看護師の長女と次女は、筋トレとヨガのインストラクターでもあり、丹後地域でジム開設を計画中です。私も加わり、高齢者の体力づくりなどを支援できたらと考えています。


まつむら・まゆみ
1963年、京丹後市生まれ。調理師専門学校卒業後、JАに勤務。社会福祉協議会職員やグループホーム勤務を経て2006年、NPO法人「やさか福祉村」(京丹後市弥栄町堤)を設立。翌年から認知症対応の「はなまるデイサービス」(定員24人)を開始。09年にはデイサービス施設を2棟に増やし、居宅介護支援事業所の指定も受けた。